サンタに靴下に…今のクリスマスをつくったのは、実は作者不詳の19世紀のある詩だった
「道で騒ぐだけのお祝い」をおなじみの光景に変えた『クリスマスのまえのばん』
クリスマスといえば、サンタクロースとプレゼント。しかし、米国人がサンタクロースに夢中になり、プレゼントを贈って楽しむという伝統が生まれた背景には、想像以上に複雑な事情がある。その理由に迫るため、米国ニューヨーク州トロイで発行された1823年12月23日付けのトロイ・センチネル紙に注目してみよう。 ギャラリー:作者とされる人物や「真の作者」説の人物ほか 写真と画像7点 この日に掲載されていたのは、バッファローの毛皮や地元産のハチミツの広告、議会の最新情報などだった。しかし、クリスマス気分に浸りたい読者は、3ページ目の「クリスマスのまえのばん(’Twas the night before Christmas)」という言葉に引きつけられたかもしれない。 これはいくつかの節に分かれた短い詩で、当時は匿名で掲載されていた。元気なサンタクロースとトナカイを見かけた父親についての詩で、もともとは「サンタクロースがやってきた」 という題名だった。 眠そうな子どもたちが家じゅうに丁寧に靴下をつるし、そこにサンタがやってくるという内容は、現代の読者には伝統的でおなじみのクリスマスの光景に思えるだろう。 しかし、クレメント・クラーク・ムーアの作とされるこの詩は、単にクリスマスの様子を描写したわけではない。むしろ、この詩こそが「伝統的なクリスマスの姿」を形作ったのだ。つまりこの詩は、米国をはじめとする国々のその後のクリスマスの姿を変えることになった。
クリスマスを作った男
この署名のない詩がどのような経緯でトロイ・センチネル紙に載ることになったのかは定かではない。この日は、ほかにも多くの匿名の詩が掲載されていた。 作者については議論があるが、のちにムーアは、自分が書き、1822年のクリスマスイブに9人の子どもたちの前で披露した詩だと主張した。しかし、誰が書いたにせよ、編集者たちにとっては間違いなく魅力的で、さまざまな他の媒体に転載された。このような転載は、19世紀の定期刊行物では日常的に行われていた。 「これは、一般家庭でのクリスマスがどうあるべきかを示す絶好のひな型となりました」と、英イーストアングリア大学で米国の文学と文化を教え、米国のクリスマスの歴史について研究しているトーマス・ルイス・スミス氏は話す。 ムーアの詩は、それまでの伝統とはかけ離れており、あらゆる面で従来とは異なるクリスマスを描いている。ムーアが描いたクリスマスは比較的新しい概念であるにもかかわらず、今ではイースターエッグやハロウィンのジャック・オ・ランタンと同じくらいおなじみのものになっている。 詩が広まると、センチネル紙に作者は誰かという問い合わせが殺到するようになった。それから14年たち、『The New-York Book of Poetry(ニューヨーク詩集)』という名詩選が刊行されてはじめて、古典学者のクレメント・クラーク・ムーアが作者として名乗り出た。 そのころ、この詩はすでに子ども世代を魅了し、その後のクリスマスの姿に大きな影響を与えていた。スミス氏によると、1820年代以前のクリスマスは現在とはまったく別物だった。地域によって扱いは大きく異なり、そもそも祝われていない地域もあったが、祝われていても、通りに繰り出して騒ぐ、たくさんの酒を飲むといった祝い方が一般的だった。 「当時の米国では、クリスマスは広く祝われていたわけではありませんでした。祝ったとしても、それは旧世界の伝統を引き継いだもので、道で騒ぐだけのお祝いだったのです」とスミス氏は説明する。通りに繰り出して騒ぐのは西ヨーロッパで一般的だった習慣で、それが移民の最初の波とともに新天地である米国に広まったのだ。