サンタに靴下に…今のクリスマスをつくったのは、実は作者不詳の19世紀のある詩だった
クリスマスはこうして生まれた
ムーアの詩に描かれたクリスマスは、こうした従来の祝い方とはまったく異なる。大人が騒ぐのではなく、愉快な妖精が夜中に家に忍び込み、眠っている子どもたちにプレゼントを届ける。おもちゃでいっぱいになった靴下とサンタクロースの起源は、どちらもオランダにある。年に一度、聖ニコラウスを祝う12月5日のお祭りだ。 ニューヨークに移民したオランダ人たちは、自宅でこれを祝っていた。しかし、オランダにゆかりがない人々は、この伝統を知人から聞くしかなかった。 ムーアにもそのような知人、ワシントン・アービングがいた。アービングは1809年に、架空のオランダ作家による風刺作品という位置付けで「ニューヨークの歴史」を書いた。その中の夢の場面として、パイプをくゆらせる聖ニコラウスが魔法の馬車に乗って空を飛び、まわりの人が驚く様子が描写されている。 ムーアはオランダ人ではなかったが、ニューヨークに住んでおり、さまざまなオランダの伝統を取り入れてこの詩を書いている。ムーアは風習を細かく書き入れたり、ほかの慣習と混ぜ合わせたりした。 たとえば、サンタがトナカイでそりを引くというのは、1821年にニューヨークで出版された匿名の詩から取り入れたものだ。ムーアはさらに踏み込んで、トナカイにドンダーやブリッツェン(オランダ語で「雷」と「稲妻」という意味)などという名前をつけた。 スミス氏は、ムーアの詩が発表されたタイミングが重要だったと言う。「この時期は、クリスマスが家族や家庭、子どもを中心としたお祝いになろうとする転換期でした。それとぴったり一致していたのです」 米国ができたばかりのころは、クリスマスを祝うことに賛否両論があった。とりわけそれを問題視していたのが、厳格なカルバン主義を信じる初期の白人入植者たちだった。 しかし、1800年代初頭になると変化が現れた。都市が成熟し、工業化が進んだことで、米国人たちがクリスマスには家庭でくつろいで過ごそうと思い始めたのだ。そこへマスメディアの成長にも助けられて詩が多くの読者に伝わり、クリスマスは家族の時間、子どもらしい驚きに満ちた時間となった。 ただし、この魔法のようなクリスマスからは、キリスト教という重要な要素が抜け落ちていると考える人々もいた。この詩では宗教的な要素が避けられており、「みんなにメリークリスマス」という世俗的なお祝いが描かれているだけだ。 これは、たとえ祝うにしても、クリスマスは厳粛な祭日であるべきだと考えるカルバン派の考え方と真っ向から対立する。それにより、クリスマスはどれほど宗教的であるべきかという論争に火がつくことになった。スミス氏は、この論争は今でも激しく続いているという。