「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(番外編・下)~新元号「令和」決定~ 移動する文化の中心
4月1日、新たな元号「令和」が発表されました。元号は、日本だけでしか使われていない時代区分ではありますが、新聞やテレビなどで平成を振り返るさまざまな企画が行われるなど、一つの大きな区切りと捉える人が多いようです。その一方で、元号に対して否定的で「西暦に統一したほうがいい」という意見も少なからず聞こえてきます。 そもそも、人はなぜ年を数えるのでしょう。元号という年の数え方に注目が集まっている今だからこそ、人がどのような方法で年を数えてきたのか、それにはどのような意味があるのかについて考えてみるのはいかがでしょうか。 長年、「歴史における時間」について考察し、研究を進めてきた佐藤正幸・山梨大学名誉教授(歴史理論)による「年を数える」ことをテーマとした連載「ホモ・ヒストリクスは年を数える」。前回に引き続き、新元号「令和」決定を受けた番外編です。
文化の中心は時代と共に移動する
日本は、中国から伝わってきた文化や文字を自国のものとして昇華させてきた。 しかし、このような文化の伝播と文字の伝播は、東アジアだけのことではない。西ヨーロッパでも2000年以上前から起こっていた。 10年ほど前、ドイツ・エッセン高等研究所で開催された比較史学史国際会議でのことである。古代ローマの初期における文学作品についての研究発表を聞いたあと、私の隣に座っていた西洋古典学の権威、アルブレヒト・ディール教授が、私の方を振り向き次のようにささやいた。「佐藤君、初期のラテン(古代ローマ)文学は、多くが古代ギリシャ語作品を踏まえて、あるいは翻案して、ラテン語で書かれたものなのだよ! 今の若い人は、なぜ、もっとはっきりこの事実を言わないのだろう」 メディアが伝える今回の新元号の考案経緯を読みながら、ドイツでのこの記憶が突然よみがえった。 洋の東西を問わず、過去の名文を踏まえる、典拠とするという知的行為は、これまでの人類の文化発展の重要な一部を担っていた。新元号の考案自体が、そのひとつである。 古代ギリシャから古代ローマへの文化伝播、唐から日本への文化伝播、それぞれが新しい独自の文化を生み出していった。