「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(番外編・下)~新元号「令和」決定~ 移動する文化の中心
漢字文化圏における文化の中心移動
同じことが、ユーラシア大陸の東の端にある漢字文化圏に属する諸国家でも行われてきた。今の河南省一帯にある中原と呼ばれる地域を中心に発展した3000年前の漢字文化が、同心円状に広がり、海で隔てられた日本に到着したのは6世紀頃である。 以来、日本は、この漢字で書かれた文化、特に『五経』といわれる書物を中心とした漢字文化を自ら進んで求め、遣隋使や遣唐使を派遣した。 古典は、向こうからはやってこない、こちらから求めて行くのである。かつ、それを自分のものとするために漢文を日本語で直接理解する訓読という方法を発明し、注釈を付けることで、より深い意味を理解しようとしてきた。 そして、長年培ったこの訓読式外国文化受容の方法を英語に応用することで、19世紀の東アジア諸国の中では、日本が初めて本格的に西洋文化を受け入れたのである。これにより、日本は東アジア最初の近代国家となった。 「令」と「和」の文字を含む漢文「梅花歌三十二首并序」が書かれたのは、前回も述べたが、天平2年正月13日、西暦でいうと730年のことである。この序文が、その奥に後漢の張衡「帰田賦」を踏まえていたことは、文化の発展・伝播の過程で必然的に生ずることであり、この作業こそが、新しい文化を生み出す原動力となるのである。当時の日本と唐との関係を考えれば、「帰田賦」が収録されている『文選』のような権威ある漢籍を踏まえて作文するのは、知識人としての矜持をしめす著述スタイルであったといえる。
尚古主義は今も生きている
このような古典からの引用による説得(尚古主義・クラシシズム)の論理はもう古い、現代はエビデンス・統計データによる説得(数値主義・アルゴリズム)の時代である、という人は多いようだ。 例えば、国会中継を見ていても、数値や統計データをもとに議論が行われていて、古典を引用しながらの議論は、まずないといえるだろう。 しかし世界を見渡してみると、尚古主義は今でも生き続けている。宇宙開発に限ってみても、アメリカのロケットやミサイルの「アトラス」、「タイタン」はギリシャ神話の神名である。中国の月探査計画は嫦娥工程と呼ばれ、古代の神話からその名前が採られている。それぞれが、自己の文化のルーツとする神話や神々の名前を最先端の宇宙機の名前に使用するのである。日本の宇宙機にも、雷神など日本神話からの名前が使用されている。 よく「教養とは何か」という質問がある。私は「古典をより多く読むことだ」といつも答える。この古典教養主義は、今現在でも世界で生きている。日本は、西洋の古典も、東洋の古典も、そのほとんどが日本語訳で読める世界的に希有な国だ。古典の知識は、国内よりも、海外に出て仕事をする時、大きな助けとなる。短いスピーチでも、長い講演でも、古典を引用できない人は尊敬されない。