怪我に狂わされた…。日本の「ガラスの天才」(4)26歳でプロに別れ…。「ぶっちぎり」のレベルだった元逸材
サッカー選手は常にケガと隣り合わせだ。たった1つのケガでキャリアを棒に振ってしまう選手もいれば、何度も大ケガを負いながらもその逆境を乗り越えて長く活躍する選手もいる。今回は最高級の才能を持ちながらも、ケガに苦しむキャリアを歩んだ“ガラスの天才”をピックアップして紹介する。
FW:比嘉厚平 生年月日:1990年4月30日 日本代表成績:出場なし 比嘉厚平は、もしケガがなければ今もピッチで輝いていたかもしれない。そう思わせるほど、才能あふれる選手だった。 比嘉は柏レイソルの育成組織で非凡な攻撃センスと華麗なドリブルを磨き、U-14から各世代別のサッカー日本代表を経験。AFC U-17選手権2006では、優勝したU-17日本代表の一員だった。 2007年12月には翌シーズンのトップチーム2種登録が発表されたが、その直後の2008年1月に悲劇が襲った。 U-19カタール国際親善トーナメントを戦う日本代表メンバーに選出されていた比嘉は、U-19中国代表戦で負傷。左膝前十字靱帯損傷、左膝半月板損傷、右膝半月板損傷の大ケガで、この年は公式戦に出場できなかった。 2009年にトップチーム昇格を果たしたが、以前の輝きを取り戻すことができず、2年間で公式戦出場はわずか1試合にとどまった。 2011シーズンからは柏を離れ、ブラウブリッツ秋田に加入。JFLで30試合に出場して7得点2アシストを記録してキャリアの立て直しを試みた。しかし、2012シーズンに加入したJ2のモンテディオ山形では再びケガに悩まされ、2016年に26歳の若さで現役引退を決断した。 比嘉が育ったときの柏の育成組織は、黄金世代とも言える時期で、同選手も酒井宏樹や工藤壮人、武富孝介らと同じ世代だ。 ジュニア時代に千葉県のトレセンで一緒になり、のちに自身も柏の下部組織に加わった島川俊郎(現・台中FUTURO)は2021年のJリーグ公式メディアのインタビューで「すごい選手たちの集まりでした。僕も地元では上手いほうでしたけど、県選抜ではとにかく、ついていくので必死でした」と柏勢のレベルの高さに触れ、比嘉について「あの中でもぶっちぎりでしたね。速くて、強くて、上手い。同い年でこんな選手がいるのかと、本当に驚かされました」と当時の印象を語っていた。 あのときのケガがなければ、比嘉はどのようなキャリアを送っていたのか。ともに育った選手仲間でも気になっているに違いない。
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