【光る君へ】偶然すぎる「まひろ」の出会いに突っ込みたくなるが… 謎多き人物を描く大河の宿命
大宰府に集結したオリジナル・キャラクター
ドラマとは偶然が重ならないと、なかなか前に進んでいかないものですが、それにしてもNHK大河ドラマ『光る君へ』の第46回「刀伊の入寇」(12月1日放送)では、いくつもの偶然が重なりました。 【写真】彰子で話題「見上愛」の意外な素顔 “よく間違えられる”そっくり女優と2ショット ほか
宮仕えしながら『源氏物語』を書き終えたまひろ(吉高由里子、紫式部のこと)は、太皇太后彰子(見上愛)の宮廷を離れて旅立ち、大宰府(福岡県太宰府市、筑紫野市)に着きます。するとそこには、20年前に父の為時(岸谷五朗)の赴任に同行して訪れた 越前(福井県北部)で出会った、日本生まれで宋育ちの医師、周明(松下洸平)がいました。 かつてまひろは周明に恋心を抱いたものの、宋のために利用されていたという、苦い経験をしましたが、再会後もまた、まひろの心は彼に惹かれていったようです。 ほかに、娘の賢子(南沙良)の思い人だった武者の双寿丸(伊藤健太郎)も大宰府にいました。たしかに、双寿丸は第43回「輝きののちに」(11月10日放送)で賢子に、「俺、来年、大宰府に行く。殿様の(平)為賢様が藤原隆家様に従って大宰府に下るのについていくのだ。武功を立てに行く」と告げていました。このため、賢子はフラれましたが、彼が大宰府でまひろに会う伏線は敷かれていたのです。 ちなみに周明と双寿丸は、風刺劇を披露する散楽の一員で、貴族から盗んでは庶民にあたえる義賊でもありながら、無残に殺された直秀(毎熊克哉)と並び、『光る君へ』の三大オリジナル・キャラクターを構成しています。さらに、あえていうなら、この時期のまひろはオリジナル・キャラクターのようなものですが、その理由はあとで述べましょう。 史実に縛られない登場人物が、こうして次々と大宰府に集まったのは、「刀伊の入寇」を描くためでした。
まひろが刀伊に遭遇した理由
時は寛仁3年(1019)3月から4月。海の向こうの異賊が九州沿岸に押し寄せました。それは「刀伊国」の兵で、のちに中国大陸で金や清を建国する遊牧民族「女真」の一派だとみられています。彼らは船団でまず対馬や壱岐に押し寄せてから、4月7日に筑前(福岡県北西部)の沿岸に侵攻。9日には博多を攻めています。その間、殺された日本人の数は365人に達し、1,289人が拉致されたといいます。 これに対処したのが、太宰権帥(大宰府の長官代理で、事実上の長官)だった藤原隆家(竜星涼)。藤原道長(柄本佑)を呪詛しまくった挙句、若くして病死したあの伊周(三浦翔平)の弟です。当時の九州には、貴族の末裔ながら土着し、戦闘にも慣れた人たちが大勢いて、隆家はそういう人をまとめて戦うことができたのです。 隆家が大宰府にいたおかげで、刀伊の入寇は撃退されましたが、もし上陸を許せば、もっと広い地域で日本はダメージを受けたかもしれません。いってみれば、刀伊の入寇とは平安時代最大の対外危機でした。 大河ドラマといえば、昔から戦闘シーンが定番ですが、『光る君へ』は平安時代の宮廷が舞台だから、戦闘にあまり縁がありません。そんななか、『刀伊の入寇』は戦闘を描く絶好のチャンスです。かといって、紫式部と藤原道長が主人公のドラマで、都から離れた大宰府で起きた事件を生々しく描いても唐突です。だから脚本家は、その場にまひろを向かわせたのでしょう。 博多で激しい戦闘を繰り広げた刀伊軍は、強風に押されていったん退きますが、4月12日の夕刻にふたたび侵攻。撃退されると、13日には肥前(佐賀県、および壱岐と対馬を除く長崎県)の松浦を襲います。結局、退けられるのですが、ちょうどまひろはこのとき、周明の先導で松浦に向かっていました。友人のさわ(野村麻純)が亡くなった松浦を見てみたい、というのが動機でしたが、まひろたちが沿岸を歩いていると、突如、刀伊の集団に襲われ、周明はその矢に射られてしまいます。