チョークで書いた“一言”が「世界中の運動となった」──性的マイノリティーの可視化へ立ち上がった人々が託した言葉
■性的マイノリティーは「足を踏まれれば当然痛い存在」――30年前の日本にも立ち上がった人々が
末岡支局長 「日本では、アメリカでいう『ストーンウォールの反乱』のような、性的マイノリティーの権利が見直されるきっかけとなった事件はあるんですか?」
白川プロデューサー 「ちょっと性質は違うんですが、日本において転機になったと言われている出来事があるんです。1990年に、同性愛者の団体が府中市にある都の施設の利用を拒否されたという出来事がありまして、その4年後に裁判で『施設側の対応は違法だ』という判決が出たんです。これを“府中青年の家裁判”とか言うんですけれども、当時の日本テレビのニュース原稿を見つけまして、そこには『日本で初めて同性愛者の人権問題を争っていた裁判』というふうに書いてありました」 「原告にあたる『動くゲイとレズビアンの会』、アカーと呼ばれている方たちがまさにこの裁判の最中、92年に出した『ゲイ・リポート』という本の中に、彼らの目線で何が起きたのか紹介されてるペ ージがあったので、要約の上、紹介します。東京都が運営している公共の施設『青年の家』で、アカーのメンバーは合宿を行っていました。この施設の利用ルールとして、利用する団体のリーダーが集まって会話をするリーダー会というものがあり、『私たちは同性愛者の団体です』というふうに自己紹介をしたと。そうすると他の団体から、『“ホモ”の団体』と言われたり、入浴中に覗かれたりと嫌がらせを受けたそうです。そのことを施設に訴えるも、特に適切な対応はとられませんでした」 「後日、今後の利用について所長と話す中で。『あなた方が来ると余計な想像をさせられる』『混乱する』『(同性愛に対して)都民のコンセンサスはない』などとした上で、『今後のあなた方の利用についてはお断りしたい』と拒否したということです」
末岡支局長 「90年代初頭は、テレビのゴールデンのバラエティー番組で、同性愛者や性的マイノリティーをパロディーしたような番組がすごく流行っていました。だから差別的な言葉を使ったり、入浴中に覗いたりと、テレビの影響がちょっと悪い方向にいっちゃっている時代だったのかなと話を聞いていて思いました」 白川プロデューサー 「この原告の方たちの勇気というのは本当にすごいものがあると思ったんですけれども、その時の取材映像が日テレのアーカイブに残されていて、原告の一人である永田雅司さんが、地裁の判決が出た時にお話しされている言葉に胸を打たれたのでご紹介させていただきます」