チョークで書いた“一言”が「世界中の運動となった」──性的マイノリティーの可視化へ立ち上がった人々が託した言葉
白川プロデューサー 「時代は全然違うんですけど、私は大阪出身で、20年前ぐらいに大阪から東京に出てきて、初めて新宿2丁目に行ったんです。普段街では見かけないような、男性同士が仲良くしている姿を初めて見たときはやっぱりワクワクしたし、自分はここでは自分らしくあっていいんだっていうふうに当時思ったのをちょっと思い出します」
■チョークで道に書いた“一言”が世界中の運動に──ストーンウォールの反乱当日
末岡支局長 「その夜、マークさんはストーンウォールにまさにいたということなんですけれども、警察が突然ドアを破って侵入して、バーを破壊。さらにマークさんたちに、ボトルを投げつけるなど、暴力が振るわれたそうなんですね。権力が性的マイノリティーに対して振るう暴力を見て、『自分たちはこう見られているんだ』と気づいた瞬間になったといいます」 「マークさんは店の外に出されて、酷い言葉を色々かけられたそうなんですけれども、そのとき、怒りの感情がふつふつと積み重なって、初めてその怒りが爆発したというふうにマークさんは話していました」 「その後、チョークで道に『Tomorrow Night STONEWALL』と書いて、さらに翌日、当事者やアライが集まり、性的マイノリティーの権利を訴えて闘ったということなんです」
白川プロデューサー 「反乱の翌日にたくさんの人が集まって、それが今のプライドパレードのルーツになっているというふうに本で読んだんですけれども、マークさんがそのきっかけになった、チョークで『明日集まろう』という趣旨のことを書いたご本人ということなんですか」 末岡支局長 「本当にすごいきっかけになったレジェンドですよね。マークさんは、当時は今と違ってインターネットもないし、携帯電話もないから、『自分は社会から見えないものになっている』。そこで、まず目に見える存在になるために声を上げることが大事だと感じたと。その後、世界中の運動になっていったんだそうです」
「マークさんはずっと活動されていて、徐々に権利を勝ち取る過程で一番嬉しかったところを聞くと、『同性婚が認められた時だ』というふうにおっしゃっていたんです。『パートナーと結婚できたこと、これが人生で一番嬉しかった瞬間だった』とマークさんが涙を目に浮かべながら話されていたのが、インタビューしていた私にもぐっとくる瞬間でした。また、『自分たちの功績は決して一人のものではない』と。一緒に集まってきたみんなのおかげであって、そのおかげで『今日のプライドパレードができたのです』というふうにおっしゃっていました」 白川プロデューサー 「ストーンウォールのことは、僕は当事者として知ってはいたんですけれども、ちょっと失礼ながら歴史上の出来事みたいなイメージがあったんです。当時、現場にいたマークさんが元気にご存命でお話できることを改めて見て、性的マイノリティーに関して世界がすごいスピードで変化しているんだと改めて感じました」