世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.121「アコスタの走りに『もう勝てないな』と思わされた加藤大治郎を思い出す」
マックス・ビアッジ、加藤大治郎に対するライバル心の違い
やっぱりそういうライバル意識を持つ相手って、いるんですよね。僕にとっては、前回のコラムにも登場した超一流? 一流? の、マックス・ビアッジがそうでした。 僕は初めて海外グランプリを視察した時、縁石の外側を土埃を上げて走るビアッジを目の当たりにして、「世界にはすげえヤツがいる! こりゃあ全日本で満足してる場合じゃないぞ」と、世界GP行きを本気で考えるようになりました。ビアッジへの憧れがGPライダーの出発点だったようなものです。 年齢的にも、ビアッジの方が1歳若い同世代で、「コイツにだけは絶対負けたくない」という思いを強く持っていました。まあ、僕はクリーンなレースをするタイプだったので、ガチガチにぶつけ合うようなことはありませんでしたが、ビアッジを意識していたことは確かです。 ちょっと話は逸れますが、加藤大治郎くんが出てきた時は、もうライバル心を持つこともありませんでした。僕より6歳の年下の大ちゃんは、’00年に世界GP250ccクラスにデビュー。その年、僕は500ccクラスを走っていましたが、いきなりの速さには驚かされたものです。 翌’01年は、僕が250ccクラスにスイッチし、大ちゃんと直接対決をしたシーズンでした。どうにか食らいついて、何度かはいい勝負ができたとは思いますが、自分としてはほとんど勝負になりませんでした。 ──2001年GP250、バレンシアGPにて。#74加藤大治郎と#31原田哲也がトップを争い、このとき加藤が勝利。全16戦中の第15戦マレーシアGPで加藤がチャンピオンを決定した。 大ちゃんが鮮やかにチャンピオンを獲得し、僕はランキング2位。16戦中13戦で表彰台に立ったし、3勝を挙げましたが、僕としては完全にボロ負け。「大ちゃんにはもう勝てないな」と、素直に思いました。 そう思ってしまうこと自体、完全に僕のメンタルが折れたということになります。前回のコラムにも書きましたが、大谷翔平選手に言わせれば「そのメンタルをどうにかするのも自分の技術」で、僕にはそれが足りなかったのでしょう。その翌年、’02年を持って僕は引退することになりますが、大ちゃんの存在は大きかったです。 これは一緒に走ったライダーじゃないと分からない感覚かもしれません。ライバル心を持つどころか、「あ、もうダメだ」と思わされるぐらい圧倒的な差を感じるんです。’01年も、リザルト上では大ちゃんがチャンピオン、僕がランキング2位となっていますが、その隔たりは途方もなく大きなものでした。