現役慶応ボーイの武藤嘉紀がプロ入り、覚醒した理由
ハビエル・アギーレ新監督に率いられる新生日本代表に大抜擢されたFC東京のルーキー、FW武藤嘉紀の携帯電話には一枚の写真が大切に保存されている。昨夏にカザニ(ロシア)で開催されたユニバーシアード代表に選出された直後に、東京・北区の国立スポーツ科学センター(JISS)でメディカルチェックを受けたときのことだ。偶然にもJISSを訪れていたザックジャパンのエース、FW本田圭佑(当時CSKAモスクワ)と知人を介して会い、高校時代から尊敬してきた日本代表選手と記念撮影に応じてもらった。 そのときの情景を思い出すと、いまでも武藤は「そういう思い出もあって、憧れの人なんです」と照れくさそうに笑う。時は流れて、武藤はアギーレジャパンの一員として本田と同じ時間を共有する立場になった。ACミランの一員として8月31日のセリエA開幕戦でゴールを決めた本田は9月2日に帰国。札幌市内で行われている日本代表合宿に一日遅れで合流した。 さっそく挨拶をしたという武藤に「本田に認識されていたか」と聞くと、今度は恐縮しながら苦笑いを繰り返した。「いやぁ、どうなんですかね。わからないですね」。 現役の慶應ボーイという異色の一面もクローズアップされる武藤だが、本来ならば体育会ソッカー部の最上級生にして絶対的なエースを担っているはずだった。運命を大きく変えたのは、武藤本人の決断だった。大学在学中の昨年12月にプロ契約を結んだ経緯を、FC東京の立石敬之強化部長が明かす。「武藤から『プロでやりたい』という申し出があったんです。僕自身はすでに大学レベルを超越している選手という評価を与えていたので、大学側と本人がよければ受け入れたいと」。 大学側も武藤の意思を尊重し、経済学部に籍を残したままで、体育会ソッカー部を3年次で円満退部することが決まった。当時の武藤のコメントを振り返ると、次のような下りを見つけることができる。「幼いときからの憧れのチームであるFC東京でプロサッカー選手になれることを心から嬉しく思うのと同時に、それ以上に身が引き締まる想いを強く感じています」。 4歳でサッカーを始めた武藤は、小学校4年のときからFC東京のスクールであるバディSCに通い、FC東京U‐15深川、FC東京U‐18と順調にステップアップを果たしてきた。高校3年だった2010年夏にはトップチームへの昇格を打診されたが、武藤は熟慮した末に断りを入れている。憧れてきたプロサッカー選手になる道を、自らの判断で遠回りさせた理由を武藤はこう振り返る。「サッカーを仕事にして、大人たちと戦っていく覚悟と自信がなかったんです」。 慶應義塾高校から内部進学できる慶應義塾大学で体育会ソッカー部に入部して、心技体をひと回りもふた回りもたくましく成長させる。弱肉強食の世界で生き抜いていくための絶対的な武器を手に入れたという確信を抱いたときに、新たな一歩を踏み出す。その舞台は、愛着深いFC東京としたい――。 18歳の夏に描いたサッカー人生の青写真の第一章を、卒業を待たずして成就させた武藤の「人間力」を立石強化部長も高く評価する。「すべてを彼自身の判断で決めてきたので、その意味では22歳にして自立している選手と言っていいですよね。考え方が非常にしっかりしている。以前からパワーとスピードは十分にありましたが、大学での3年間で間違いなく体が大きくなりました。自分の意見をしっかりと言えるあたりを見ても、精神的にも大人になったと思います。僕自身はユースから昇格しても間違いなくトップで通用すると見ていたので、大学の2年次、3年次でJFA・Jリーグ特別指定選手としてウチの練習に参加させるなど、武藤とは常にコミュニケーションを取ってきました。いつでもFC東京で受け入れられる、という状態にしていました」。