留学生の箱根駅伝… 拓大主将・デレセの異色苦労物語
第65回大会(1989年)でジョセフ・オツオリ(山梨学大)が花の2区で衝撃の7人抜きを披露して、箱根駅伝に“留学生旋風”が巻き起こった。単なる「助っ人」ではなく、強い留学生がいるから、日本人選手も成長するという相乗効果で山梨学大は急浮上。第68回(1992年)で初優勝を果たすと、第70回、71回では連覇を成し遂げている。 “黒船”到来から間もなく30年。箱根駅伝に限らず、実業団駅伝、高校駅伝でも外国人ランナーの姿は珍しくなくなった。それどころか、箱根駅伝においては、留学生の存在が影を落としている。 山梨学大は3度目の優勝後、徐々にペースダウンした。前々回は17位、前回は18位。今回の箱根予選会は過去ワーストとなる10位通過だった。山梨学大だけでなく、近年は留学生のいる大学の苦戦が目立つ(一方、今回の予選会には7人の留学生が出場するなど、留学生の人数は増加している)。 前回出場した20校中、留学生が出走したのは、拓大、東京国際大、山梨学大の3校。シード権を獲得したのは拓大だけだった。今回の第95回大会(2019年)は拓大、日大、東京国際大、国士大、山梨学大の5校で留学生の出走が予想されている。この中でワークナー・デレセ(拓大)だけは少し異なる状況にある。「留学生」とひとくくりにされているが、その大半はケニア人。筆者が把握している限りで、現在、関東の大学には12名の留学生ランナーがいて、デレセだけがエチオピア人なのだ(他はケニア人)。しかもデレセは留学生にしてキャプテンを務めている。 拓大にはデレセが来日する前、二人のケニア人留学生が所属していた(ひとりは卒業前に帰国)。代理人から追加の費用を請求されるなど、想像以上にお金がかかったこともあり、岡田正裕監督は大学側に、「外国人はもういいでしょう」と話していた。しかし、大学側はすでに予算を組んでいたこともあり、ケニア人ではなく、エチオピア人を迎え入れることになったのだ。 代理人により、拓大は二人の選手を紹介された。そして、日本でセレクションが行われて、デレセが拓大に入学する。“留学生あるある”ではあるが、デレセは高校までトラックレースをほとんど走ったことがなかったという。そのため日本のレースになかなか適応できなかった。 1年時6月の全日本大学駅伝選考会(1万m)では、4組で日大のケニア人留学生に1分近くも引き離された。日本人選手にも先着を許して、13位(29分23秒91)に終わり、岡田監督から叱咤されている。 「デレセはほとんど競技経験がなかった。それを全日本の予選会でまざまざと感じましてね。私は正直いって、かなり叱りましたよ。『エチオピアに帰れ』と。本人は泣きだしました。『速い』という先入観があったんですけど、よく聞くと、エチオピアでは1500mを1本くらいしか走っていなかったみたいなんです」