「いい商品、サービスを作る」より大事な、稼ぐために必要なこと。伊藤忠岡藤CEOが語ったトップ営業の条件
「自分の以外の誰かのために」がいちばん儲かる
岡藤は紳士服地に有名デザイナーの監修を取り付け、ブランドネームを入れるというアイデアで大きなヒットを飛ばした。イヴ・サンローランから始まり、ピエール・カルダン、エマニュエル・ウンガロと次々と契約していったのである。 当時、やり手の営業パーソンが紳士服地を売る場合、20反も売ればやり手と言われた。ところが、岡藤はイヴ・サンローランの服地を400反、カルダンに至っては2000反も売り上げたのである。 業界では「伊藤忠には天才がいる。岡藤は天才営業パーソンだ」と話題になったが、その分、嫉妬もされたし、悪口も言われた。 岡藤は紳士服地に女性が好きなブランドネームを入れるだけに止まらなかった。彼が次に考えたのは最終的な売り先を特定してから海外メーカーに生地を発注することだった。 紳士服地はプロダクトアウトの商品だった。海外メーカーが作った見本を持ってエージェントと輸入商社(伊藤忠など)がラシャ屋に売る。ラシャ屋は百貨店、テーラーに生地を売るのだが、1反という単位ではなく、それぞれの生地についてスーツ5着分、10着分と裁断してから販売する。 岡藤は売り方をマーケットインに変えた。仕入れる前にアパレル会社、百貨店の紳士服売り場から注文を取った。そうして数をまとめて海外メーカーに注文を出すことにした。 最初に話を持ち込んだ海外メーカーはイタリアの生地メーカー、エマニュエル・ウンガロだった。 岡藤は言う。 「なぜエマニュエル・ウンガロの輸入権を取ったかといえば、もちろんマーケットインの生地を作るためと稼ぐためだ。だが、もうひとつ、『先を見るな』と忠告してくれた村上さんにお返ししたい気持ちもあった。 村上さんが番頭やっていたラシャ屋は大手百貨店と取引がなかった。 そこで、僕は高島屋に村上さんの会社を紹介した。村上さんの会社は業界の老舗から、のれん分けで独立した会社だから、老舗が口座を持っていた高島屋にはなかなか入ることができなかった。 だが、高島屋はエマニュエル・ウンガロと包括契約していたから生地の輸入業者として村上さんの会社を入れてくれた。 僕は自分の会社だけでなく、客先にも大きくなってほしかった。客先を大きくすることで、世の中に対して自分の力を示したいとも思った。 初めて大手百貨店と取引ができるようになって、それがまた大きな注文だったから、村上さんは大感激していた。あの時の様子は忘れられない。大の大人が涙を流して、おいおい泣いていたのだから。 商売は浪花節ということや。それに加えて、商売では自分以外の誰かのために働くのがいちばん力が出る。自分のためよりも、弱い者の味方や。力のなかった者のために微力を尽くすのが商人。だから、応援したわけです。財閥系の商社と違い、伊藤忠は商人や。強い者の味方ばかりしているわけにはいかない。弱い者と一緒になって強い者に向かっていく会社や」
仕事ではイニシアチブ(主導権)を握る
紳士服地にブランドを持ち込んだ伊藤忠の繊維部門はその後、扱いブランドを増やしていく。 「稼ぐにはただお客さんの儲けを追求していればそれでいいわけではない。重要なのは儲けの仕組みを自分が主導できるかどうか。イニシアチブを握ることができるかどうか」 岡藤はこう言う。
野地秩嘉