【コラム】イギリスの国際教育と“6人の妻たちの残酷物語”【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
人種も言葉も出身地も、さまざまな人が集うイギリス。週末にはロンドンのみならず、全英各地でパレスチナやウクライナを支援するデモや集会が行われ、さまざまなバックグラウンドを持つ人々が声を上げる。多様性に満ちたこの国で養われる国際感覚、その源流は、イギリス国民が愛する“意外なモノ”にあった。 (NNNロンドン支局 鈴木あづさ) ◇◇◇ 長い冬休みが終わった。シングルマザーとしては、毎日の息子の預け先の悩みから解放され、やれやれといったところだ。学校初日の前夜、寮の部屋に荷物を詰め込むため嫌がる息子の首に縄をつけて学校の門をくぐると、同級生の“ママ友”や先生方から異口同音に声をかけられた。「地震、大丈夫だった? 空港の飛行機事故も大変だったわね」 私は冬休みに入った途端、ひどい風邪をひき、息子ともどもドイツの友人宅に投宿していた。日本には帰国していなかったのだが、皆さん、本当に心配そうに声をかけてくれる。どちらもBBCのトップニュースで報じられていたためテレビで見たのだろうが、息子まで同級生に同じ言葉をかけられていたのには驚いた。国際ニュースへの感度が高い。 こんなこともあった。2023年10月7日。イスラム組織ハマスがイスラエルに急襲をかけ、長く続く戦闘のきっかけとなった、あの日のことだ。息子とBBCを見ていて、ブレーキングニュース(速報)が流れると、彼は「イランも参加するのかな…」とつぶやいたのだ。 11歳の息子が複雑な中東の地政学リスクを理解していることに驚いて、「どこで聞いたの、それ。すごいじゃん」と尋ねると、彼は「学校の授業。別にすごくないし…」と応えた。(この辺りが反抗期の“とば口”であったことを、母は後から知ることになる) 私が学生の頃、留学先のアメリカで「東京って中国のどこにあるの?」と聞かれてのけぞっていたのとは、隔世の感がある。こうした世界への「感度」は、どこで培われるのか?