森からどのような経済をつくるのか。森林ディレクター奥田悠史が語る15年後
人との暮らしから離れたことで、森は放置されるようになった。利用価値も低くなったために、伐採せず、木材を海外からわざわざ取り寄せて、すぐそこにある資源は使われないままとなっている。 森と人の暮らしに距離ができてしまったのは、両者を繋ぐ「道」がないからではないか。その道をどうつくるかに挑戦しているのが、やまとわの 「森の企画室 」である。 実際の道づくりの事例として、長野県伊那市の「鳩吹山(はとふきやま)での森づくり」が挙げられるが、やまとわ取締役で森林ディレクターの奥田悠史は、どのように人との暮らしに結びつける複合的な森のビジネスをつくろうとしているのだろうか。 長野県南部に位置し、北と南、2つの日本アルプスに挟まれた谷間のまち、伊那市。ここに本拠地を構えるやまとわは、「夏は農業、冬は林業」という複合経営に挑戦している。単なる農業だけでもなく林業だけでもない、かつての「農家林家」の暮らしをお手本とする、独自の事業スタイルである。 夏の農業では、馬糞を堆肥にし、無農薬・無化学肥料で、さらに木工の端材を炭焼きして畑に戻す「循環型農業」を実践。農産物の販売はもちろん、食のプロダクト「YAMAZUTO」も手掛ける。 冬の林業では、森を育む施業を提案し、オーダーメイドの家具や、信州・伊那谷のアカマツでつくった折りたためる家具「pioneer plants」、日本で古くから使われてきた包装材「信州経木 Shiki」など、地域材の特徴を活かした商品に仕立てている。 ◾️ゆったり座れて軽やかな家具「pioneer plants」 やまとわの事業は、それだけではない。森と遊び、森を知るプログラム「Shindo.」や、森の可能性を学ぶプログラム「伊那谷フォレストカレッジ」の企画、運営も続けている。 これだけの事業を並行して走らせるのは、「ひとつの事象に対して、直線的な解決方法ではうまくいかない」というのが持論の奥田が、地域の自然資源を最大限に生かすことで、森と人の暮らし、自然と社会を繋ぐことを突き詰めた結果だ。 奥田は、幼少期から森や土とともに生きてきた。歳の離れた兄と、傷だらけになって森や川で遊び、「自然と人間の圧倒的なスケールの差を感じて、人間の自然をコントロールできるかのような振る舞いを見ると不安を覚えた」という。 高校、大学で農業と林業を学び、木材流通の「改革できない困難さ」に絶望をしたあと、世界一周をしてから、一旦は編集やデザインという別の道を選択する。しかし8年前。やまとわの創業に関わり、「森や自然」に「企画やデザイン」を掛け合わせるビジネスを始めた。 やまとわの興味深い特徴の1つは、木樵りやフォレスター(森林総合監理士)、農家、家具職人、家具デザイナー、編集者、クリエイティブディレクター、ライターなど、バックボーンの異なるメンバーが事業部を越えてチームを組み、コンセプトワークから企画設計までを一貫して実施するところだ。 「ものづくりと林業の視点を組み合わせたり、まちづくりと農業の視点を組み合わせたり。企画やデザインをする人で、リアリティをもって農林業に従事する人たちはあまり多くないなかで、試行錯誤を続けてきました。農業をやっているからできる森づくりがあるし、ものづくりをやっているからできる森づくりもあるんです」(奥田)