介護とは「親の”死に方”を選ぶ」こと…「後悔のない選択」は不可能だが、「意味のある選択」をするために必要なこととは
2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。 【漫画】くも膜下出血で倒れた夫を介護しながら高齢義母と同居する50代女性のリアル 介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務めた筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(髙口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。 『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第22回 『「老いても口からごはんを食べたい!」鼻チューブ・胃ろう以外の選択肢「OE法」とは?』より続く
「食べ方」=「生き方」
鼻腔栄養も胃瘻も体の状態がよくなれば中止し、再び口から食べることは可能です。しかし高齢で体力が弱っている人の場合、それを望めないケースが圧倒的に多いのも事実です。そうなると、チューブのおかげで生きながらえることができても、常に無気力で、ただ生かされているという状態が何年も続くことがあります。 「食べ方」はそのまま「生き方」につながります。つまり、チューブを入れるか入れないかは、その人の人生に残された時間をどう生きるかに関わる選択です。これは親の生き方を子どもが決める、きわめて重要な場面と言えます。 中には「ここ(施設)で言われた通りにします」とか「ほかの人と同じにしてください」と決断を他人の判断に委ねようとする人がいます。あるいは「本人の言う通りにしてください」と言う人もいます。残念ながらこの段階にきたらお年寄り本人が判断することは難しいケースがほとんどです。 親の体にチューブを入れるかどうかで迷わない子どもはいません。 「食べることが大好きだった母親らしく穏やかに最期を迎えてほしいから、チューブは選択したくない。でも、チューブを入れればもう少し生きられるのに、そうしないのは親を見殺しにすることにならないだろうか……」 「エゴだと言われようと、父にはもう少し生きていてほしいから、胃瘻にしたい。でも、そのことが本人を苦しめることになりはしないか……」 どちらを選んだとしても、こうした葛藤は続きます。子どもが親のために「食べ方」=「生き方」を選んで決める、その過程には、これまで築いてきた親子関係や子どもの思いが反映されます。だからこそ、その選択が親を亡くしたあとに生きてきます。