今よみがえる伝説の経済学者「宇沢弘文」、21世紀の経済学者の課題「社会的共通資本」とは
■早すぎたがゆえ、受け入れられず 『自動車の社会的費用』を出版して世論を動かしたのが1974年で、この時期に社会的共通資本理論の骨格も整った。半世紀も前から、「資本アプローチ」を実践していたことになる。しかし早すぎたがゆえ、その考えが経済学者に広く受け入れられることもなかった。 経済学の環境問題への取り組みは、東西冷戦の終焉と歩調をあわせ変化した。大きな契機が1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議だ。「地球サミット」と呼ばれたこの会議で気候変動枠組み条約、生物多様性条約への署名が行われ、グローバルな環境問題が地球的課題として認定された。
宇沢は1980年代末から地球温暖化問題にも取り組んでいた。公害問題では孤独なランナーにすぎなかったけれども、グローバルな環境問題が理論経済学者の課題として浮上すると、すぐさま先頭集団への合流を果たした。その証拠を示す一枚の写真がある。1993年にスウェーデンのベイエ研究所で撮影された集合写真だ。 宇沢がアローやダスグプタらとともに写真に収まっている。そこには、2009年に女性として初めてノーベル経済学賞を受賞することになる、コモンズ研究で知られる政治学者エリノア・オストロムも映っている。環境問題に取り組む理論家とコモンズ研究者が一堂に会した重要な会議だった(宇沢のコモンズへの関心については、シンポジウムの「21世紀のコモンズ論」で三俣学教授と茂木愛一郎氏が詳細に論じた)。
■米国時代に取り組んだ理論が威力を発揮 人体に被害を与える公害の問題では、企業への直接的な規制が重要だった。一方、グローバルな環境問題は性質が異なり、炭素税のように市場の原理を利用しながら企業活動を誘導する仕組みが欠かせない。「世代間の公平」が中心的な課題で、宇沢が米国時代に取り組んだ最適成長理論などが威力を発揮することになった。 実際、地球温暖化対策として早くも1990年に、一人当たり国民所得に比例する比例的炭素税と、大気安定化のための国際基金の創設を宇沢は提唱していた。「前期宇沢」と「後期宇沢」のあいだに橋が架かったのである。