なぜ小林陵侑はW杯個人総合優勝を果たせたのか
日本のジャンプ界に、この冬、新エースが誕生した。躍り出たのは昨年の平昌五輪代表の小林陵侑(22、土屋ホーム)だ。 10日(日本時間11日)にノルウェー・オスロで行われたW杯の第23戦で5位に入り5戦を残して日本人男子として初となるW杯個人総合優勝を決めた。2位につけてきた昨季の総合優勝者、カミル・ストッフ(31、ポーランド)が13位に終わったため、ポイント差と優勝回数の関係で早々と決まったもの。 小林は「あまり実感ができていないが凄く嬉しい。こんなに早く決まるとは思っていなかったが、日本チームがこれまで誰もできなかったことを成し遂げられた。周りの方々に感謝している」とのコメントを残した。 小林の今季はW杯開幕戦のヴィスワ大会での3位から始まり、第2戦のルカ大会では表彰台の中央に上がった。昨年12月のエンゲルベルク大会の第2戦からは連勝街道に入り、1月12日のヴァル・ディ・フィエンメの第1戦まで6連勝。その間にあった伝統のジャンプ週間では、史上3人目となる4戦4勝の完全制覇で総合優勝を果たした。これは1997年ー1998年の船木和喜に次いで2人目の快挙だった。 平昌五輪では、ノーマルヒル7位、ラージヒル10位と日本人最高順位になっていて、いつかは、W杯で優勝するとは思ってはいたが、前半戦だけで早くも9勝を飾る急成長を遂げ、W杯23戦で11勝を果たす形で頂点に立つことを誰が予想できただろう。 なぜ小林はブレイクしたのか。 「一番は助走の安定になります。サッツ(踏み切り動作)がすべて合うようになりました」 本人は、アプローチ(助走)の安定感を理由に挙げる。その予兆は1年半前あたりから、如実に現れていたが、昨夏からさらなるアプローチ姿勢の改良に取り組んできた。 技術的なヒントと、その改良に必要なヒントを与えたのは、盛岡中央高時代には複合の選手だった小林をジャンパーとしてチームにスカウトした“レジェンド”葛西紀明氏だ。 土屋ホームの選手兼チーム監督として小林を鍛え共に研究してきた。46歳になって、なお現役を可能にしている葛西流メニューで、徹底的にフィジカルを苛め抜き、特に下半身のバネの強化をテーマにした。そして小林に技術的なヒントを与えた。 「アプローチ姿勢をより低くしてサッツでの膝バネを生かそう」 小林もアプローチ姿勢で低く重心を落とすことが、サッツへの大きな力の伝導と、ぶれない安定感を生み出すと考えていた。平昌五輪ノーマルヒルの銀メダリストのヨハン・アンドレ・フォルファン、ラージヒル銅メダリストのロベルト・ヨハンソンのノルウェー勢などの長身選手の「姿勢の低さ」をビデオで研究して、その導入に取り組んできたが、葛西氏の考えとも一致したのである。