県知事選の候補擁立「相当熱心にやったが」名古屋・河村市長会見1月10日(全文3完)
「どうする家康」で大高城が登場したが
記者:すいません、共同通信の【ヒラトウ 00:53:27】と申します。よろしくお願いします。来週、愛知県知事選の告示、迫っておりますが、市長の減税日本からの候補者擁立。 記者:それは2部で。 記者:あ、2部で? 記者:それは2部で幹事質問になります。 記者:なるほど。分かりました。じゃあ、すいません、大丈夫です。失礼しました。 記者:2部のほうは市政関係。市政全般の話。ほかにございますでしょうか。じゃあ、もう1問だけ。きのう、『どうする家康』が、あ、おとといか、始まりましたけれども、いきなり大高城出てきましたが、市長、今後の名古屋の観光も含めて、何かお話しされることがあれば。 河村:いや、わしも、ビデオですけど、ちょっと仕事があったもんだで。きのうの朝、おっかあが珍しく、ちゃんとビデオとっといたよ言っとるもんだで見させていただいたけど、名古屋の名の字ぐらい言ってほしかったな、やっぱり。名古屋の名の字がにゃあかと、あんだけ桶狭間やってというのはちょっと寂しかったけど。ほんだけど若干良かったのは、たわけいって言ってましたでしょう。たわけいうのは一応、名古屋の言葉といわれておりまして。わし、三英傑が出るときは、前はNHKに抗議したときもありますけど、やっぱり名古屋の言葉を使わんいうのは、アメリカ行って日本語の映画作っとるようなもんだと。いかんいって、いうことだけど、たわけいうのが出てきましたということだけど。 あそこから、今度、来週になるかどうか分からんけど、なぜ家康は織田のほうにいったのかということにつきまして、その悩んでいうところで終わったですけど。井沢元彦さんいって、名古屋の出身の『逆説の日本史』書いた人。あの人、私も自称、弟子だといって、この間飲んだところで言ってもええか言ったら、あ、言ってもええよいって井沢さんが言ってましたけど。あの人が言ったのは、やっぱり、ちょこっと出てきたかな、出とらんじゃないかな。実は名古屋、家康は小学生時代に、小学校はありませんけど、名古屋城に人質に来とるんです。そのときに信長がおったんです、中学生で。そこで非常に仲良かったと。 記者:なんか来週出てきますので【*****00:55:52】。 河村:来週やるの? それ。 記者:予告見てると、そんな感じだったと思います。 河村:やるかね。そういうのいうの。井沢さんが。 記者:ちょっとネタバレすると。