夫婦どちらがひとり残される?私がいなくなっても生きていけそうな夫の明るさが尊い【小島慶子】
エッセイスト・小島慶子さんが夫婦関係のあやを綴ります。 2014年から東京で一人暮らしを始めて、いつも第一発見者のことを考えるようになった。何を発見するって、私をである。明日のことは誰にもわからない。家を出るときや夜寝る時には、なるべく部屋をきれいにしておく。ただでさえ第一発見者は非日常的な光景を目にすることになるのだから、ささやかなおもてなしとして部屋を片付けておきたい。遺品整理をする人のためにも、不要なものをこまめに処分するようになった。たまに力尽きて、食べ散らかした弁当がそのままの状態でソファで寝落ちしたりすると、無事目が覚めたことに心底感謝する。この状態で発見されたら「違うんです、いつもはちゃんと片付けてるんです!」と釈明したくなるだろう。実に悔しい。大変な未練が残ってしまう。その時になったら案外「ま、いいか」となるのかもしれないが。 個人事務所を設立してからもマネジメントを外部に業務委託していた最大の理由は、連絡が取れない時にすぐに駆けつけてくれる人を確保しておくためだった。夫はオーストラリアにいるので、もちろんすぐには来られない。実家の老母は高齢だ。私の日常をある程度把握していて、鍵を安全に管理できる誰かが必要である。実際、数年前に過労で救急搬送された時には親切なマネージャーさん達が病院に衣類などを届けてくれて、本当にお世話になった。感謝してもしきれない。でも、外部委託はもう必要ない。ついにこのほど、第一発見者が帰ってくるからだ。いや正確に言うと、第一発見者になり得る身内、つまり夫だ。しかも同居とは大変心強い。夫婦ってなんだろうなとよく考えるが、法律上の関係がなんであれ、互いの第一発見者になり得る間柄ということもできそうだ。そんなことのないよう祈るが、可能性は考慮しておく必要がある。 私の脳みそには、えらい先のことまで想像して心配する困った癖がある。夫が日本に帰国することになった時、最初に考えたのは「同居するようになったら、再び一人になった時の喪失感が半端ないのではないか」ということだった。まだ同居生活が始まってもいない同居歴マイナス10ヵ月時点で、いつか一人暮らしに戻るときの心配を始めるなんて、どうかしている。でもやっとここ10年余りで、私は一人でいることに慣れたのだ。子ども達と離れて渡り鳥母さんになってから、いつも心にすうすうとお寂し山の風が吹いていた。コロナ禍では2年2ヵ月もの間家族と会えず、感染拡大の波に何度も呑まれながら、ビデオ通話だけを生きるよすがに乗り切った。やがて一人旅を覚え、各地に友人ができ、人生で初めて自身を恃むことができるようになり、その自由と心地よさを知った。ついに自分の足で立っていられるようになったのだ。おめでとう、慶子。しかしそこに、夫が帰ってくる。きっと、誰かがそばにいる煩わしさと同時に安心感も得られるだろう。それに慣れてしまってから、またちゃんと一人に戻れるだろうか。もう子どもの元へ通う渡り鳥でもないし、体は年々加速的に老いていく。40代の一人暮らしとは違うのだ。子どもがいるじゃないかと思うだろうが、息子達がそのとき地球のどこで何をして暮らしているかはわからないし、彼らには彼らの人生がある。子どもがなんとかしてくれるだろうと丸投げして思考停止するのは、危機管理上よろしくない。 この先取り心配性が発動するたびに、いつも高齢の母を思う。6年前に父が急逝し、人生で初めての一人暮らしになった母。父が亡くなった直後「みんなそうなのよね」「誰でも経験することだものね」と盛んに呟いていた。伴侶の死を悼むよりもまず自分の心配かーいと思ったが、これからたった一人でどうやって暮らしていけばいいのだろうと不安でならなかったのだろう。きっと、ご近所のお婆さん達がみんなそうであるように、自分にもちゃんとできるさと自身に言い聞かせていたのだと思う。今は、母は一人で元気に暮らしているが、父の存在を身近に感じ続けているようだ。目に見えないのは寂しいことだろうけれど、いる・いないと身体のある・なしは必ずしも一致しない。母にとって、見えない父との同居生活は案外気楽でいいのもかもしれない。家事も一人分だしね。
小島 慶子