2019年最高裁バトルで、ふるさと納税制度から除外されてはや5年......。大阪府泉佐野市はふるさと納税トップ3になぜ返り咲けたのか!?
2019年、ふるさと納税の返礼品としてAmazonギフト券を扱ったことから総務省とバトル。一時はふるさと納税制度から除外された大阪府泉佐野市。しかし、昨年の納税受け入れ額は全国3位に。いったい何があったのか? 市長らにその施策を聞いてみた。 【表】2023年度ふるさと納税自治体別受け入れ額トップ10ほか * * * ■除外を乗り越え3位にカムバック 総務省は8月、ふるさと納税制度による2023年度の寄付額を発表した。総額は初の1兆円を超え、その人気はますます増大しているようだ。同時に各自治体別の受け入れ額も発表されたのだが、注目を集めたのは、かつて全国のふるさと納税額の1割近くを占めた大阪府泉佐野市がトップ3に返り咲いたこと。 泉佐野市といえば、5年前の19年に「Amazonギフト券付きふるさと納税。100億円還元閉店キャンペーン」なる企画を展開。 制度の趣旨から外れているとして総務省に目をつけられ、その年に法改正されたふるさと納税制度から除外。そして、その泉佐野市と国(総務省)のバトルは裁判沙汰に。最高裁までもつれた最終判決は泉佐野市が勝訴したものの、しばらくはふるさと納税制度に参加できなかった。 ちなみに、昨年度のランキング上位を見ると、宮崎県や北海道など畜産物や水産物が有名な地域ばかり。都市部に近く、特段有名な食料資源もない泉佐野市がなにゆえ3位にカムバックできたのか? 真相に迫るべく、市議会議員時代から約25年間市政に関わっている千代松大耕市長と、市のふるさと納税制度を担当している、ふるさと創生課の担当者に話を聞いた。 もともと泉佐野市は08年に「財政健全化団体」に転落。北海道夕張市のように財政が国の管理下に置かれる「再建団体」転落も目前の状態だった。千代松市長がこう語る。 「1999年に最大1600億円の借金を抱えました。理由は、関西国際空港(94年開港)ができるにあたり、対岸を埋め立てて造った、りんくうタウンの下水道の整備や新病院の建設、海外来訪者のための文化ホールの整備など大事業を一気に進めたものですから、借金が急に増えてしまったんです。 ただ、りんくうタウンには、ニューヨークのような高層ビル群が立ち並ぶ構想が描かれていましたので、その税収で借金を返済していけるだろうというのが国や大阪府のスタンスでした。 ところが、ふたを開けてみると、りんくうタウンにやって来る企業はほとんどなく、税収が増えないまま、どんどん借金が積み重なっていったというわけです」 とにかく税収をこれ以上増やすことは不可能。歳出を削るのも限界。いかにして市への歳入を増やすかという手段のひとつとして、ふるさと納税制度が候補に挙がった。ふるさと納税制度が始まったのはくしくも泉佐野市が財政健全化団体に転落したのと同じ08年。千代松市長はこう振り返る。 「当初の返礼品は泉州タオルひとつだけ。私が市長になった11年は寄付額も年間630万円ほどで寄付件数も43件程度。その後、国が制度改革を行ない、市としても民間業者さんと協力しながら寄付額が増えるように努力していきました。 最初に火がついたのが14年のピーチ(LCC)の航空券に交換できるピーチポイントの返礼品でした。これが人気で、その年は4億6000万円と全国11位の寄付が集まりました」 その後もさまざまな施策を重ね、17年に寄付額は130億円を超え全国1位に。その後3年連続で1位となった。ふるさと納税制度は赤字財政に苦しむ泉佐野市にとって、財政再建の切り札的存在になっていったのだ。