2019年最高裁バトルで、ふるさと納税制度から除外されてはや5年......。大阪府泉佐野市はふるさと納税トップ3になぜ返り咲けたのか!?
■Amazonギフト券を返礼品にしたワケ しかし、日本一に輝いた17年からまるで泉佐野市を狙い撃ちするかのように、総務省がさまざまな規制をかけてきた。千代松市長が語る。 「総務省は目立つ自治体をたたくようになってきました。17年には『返礼品は寄付金の3割まで』と言い始め、18年に通達された『返礼品は区域内で生産、製造されたものに限る』という地場産品規制は、明らかに資源の乏しい泉佐野市をターゲットにした規制と受け取れました」 千代松市長は、国(総務省)に「自治体と話し合いもせず、一方的に規制をかけるのはおかしいのではないか」「一度話し合いの場を設けてほしい」と何度も依頼したという。 「副市長が質問状や意見書などを総務省に持っていって、話し合いの必要性を訴えたんですが、すべて門前払いでした」(千代松市長) そんな中、やむをえず19年2月に開始したのが、冒頭の「Amazonギフト券付きふるさと納税。100億円還元閉店キャンペーン」。当時は「ほぼ、現金のばらまき」と市に厳しい意見が多かった。 しかし、このキャンペーンの真の目的は、市内の返礼品提供業者を守ることだったと、市の担当者が当時を振り返る。 「新制度下のふるさと納税制度に泉佐野市が参加できなかったとき、収入が途絶えてしまう市内の返礼品提供業者さんをソフトランディングさせ、経営への影響を最小限に抑えることが一番の目的だったんです。 19年6月の法改正が行なわれると、6割の業者の商品が返礼品から除外されることがわかっていました。ヘタをすればその業者が倒産してしまう。それを防ぐため、商品の発送時期を3ヵ月先や半年先に延ばしてくれた寄付者にAmazonギフト券をお渡ししますといった具合に〝おまけ〟をつけたわけです。 そうすることで返礼品提供業者さんはいきなり収入がなくなるのではなく、3ヵ月後、半年後でもわずかな収入があり、その間に従業員の配置転換や新しいふるさと納税制度の返礼品基準に合った商品開発の時間に充てられると考え、そういう狙いでやったキャンペーンだったんです」 しかし、そうした思いもむなしく、想定どおり、泉佐野市は19年6月から新しく始まったふるさと納税の新制度から除外され、寄付金を集めることができなくなった。 その後、前述のような裁判を経て、最高裁判決で泉佐野市が逆転勝訴。20年7月に新制度の参加指定を受けて復帰した。前年6月に除外されてから約1年1ヵ月ぶりの復帰だった。