数字ではつかめない「食べた満足感」を仮説でつかむ
齋藤:そうです、そうです。「かつおの成分が入っているからかつおの風味がする」というものの見方ではなくて、人間が何でこの味をかつおだと思うのか、というのが大事です。「キュウリに蜂蜜をかけたらメロンの味になる」と言いますが、あれも別にメロンの成分が足されたわけではないですよね。 そうですね。 齋藤:ということは、人間の知覚に寄り添い、その感覚的な部分を合わせていくというのが大事なんだろうと。それが我々の考え方です。 この「満足感」も、検査、分析ではなくて、感覚で追いかけていったんですか? ●「何となく物足りない」を突き詰める難しさ 齋藤:ええ、しかし感覚を再現するのは大変でした。さっきご覧に入れたアンケートでは、プラントベースフード(植物由来食品)に対して「物足りない」という感想が頻出してましたけれど、物足りないというのは、たいてい接頭辞で「何となく」が付くじゃないですか。 「何となく物足りない」。確かにそうですね。 齋藤:物悲しいとか、物寂しいというのが小説でも出てきますけど、あれって「何が?」と聞かれても、ちょっと答えられないような感覚ですよね。例えばラーメンに塩が足りないと思ったら、物足りないじゃなくて塩が足りないって、具体的に言えるはずなんですけど。 つまり「物足りない」って、「何が足りないか分からない」という意味なのか。 齋藤:そうです。だから今プラントベースフードに対して物足りないと言っている人に、「何が足りないんでしょうか」と尋ねると、「何か……味の厚みが」「厚みって何ですか」「いや、厚みは……ガツンとこないというか」「ガツンとは」と。 無限ループになって。 齋藤:「だから、要するに物足りないんですよ!」となるわけです。 まさに、まさに。 齋藤:なので、分析しても見えてこないんじゃないかなと思っていまして、だから人間の感覚のほうに寄り添っていかないといけない。そもそもが「満足感」ということ自体、かなり主観的な見え方なので、客観的には見えないのではないか。と。 分析をしないというわけじゃありませんし、分析技術がないわけでもない。でも、分析に頼り過ぎても見えてこない。客観情報は押さえつつ、主観、官能で合わせていくという大きく構えたスタンス。そんな感じでしょうか。 「数字とやる気」についての連載をしていたので(「数字で縛ればやる気が逃げる」)、数字を目標にしないという姿勢に共感はできるんですが、でもこれ、研究所でのお話ですよね。 齋藤:そう。研究所で「客観情報を押さえつつ主観で合わせる」という説明をすると、なかなか、何というかもう。 あなた何言ってるんですかと。 齋藤:研究所ですよ、データで議論しましょうよ、となるじゃないですか。 職人、芸術の世界の話にも踏み込みつつ、合理の世界にも片足をかける。齋藤さんがどんなご苦労をされたのか、お気の毒ですが聞く分には面白そうです(笑)。 齋藤:いやいや(苦笑)。じゃあ、その人間側の感覚ってどうなっているかというと、香りとか味とか食感とか、あとは見た目もすごく大事なんですけど、嗅覚、味覚、触覚、視覚それぞれで知覚した信号が脳に行くそうです。