ローマ教皇へブーケ献上 フラワーアーティストの花人・赤井勝さん 世界的地位確立の背景にある〝謙虚〟さ
─それで、どうしたのか。
いろいろと置き場所を考えるようになった。花屋の仕事を終え、帰宅した母親を驚かせるためにフライパンに生けたり、食器棚の中のコップに生けたり…。風呂の湯船の中に生ければ、ふたを開けたときに驚くんじゃないかとか。
─今で言うアレンジだ。
狭い家だからそうするしかなかったが、母親は叱らなかった。「へぇー、こんな風にやってんねんな」と感心してくれた。
─「花」が忙しい母親とのコミュニケーションツールになっていたわけだ。当時の工夫が今に生きているのか。
そうかもしれないが、一番は母親の口癖だ。「お花の仕事はいいんやで。みんなに喜んでもらえる。仕事としてお花を届けているのに、きれいなお花をありがとうねと言ってもらえる。すごく恵まれた仕事やよ」。親の仕事を誇らしく思えるこの言葉に、良い意味で導かれた。
─なるほど。子どものうちに感性を伸ばす経験ができていたのはすばらしい。先ほどの話に戻るが、空間を表現する花の仕事が一気に動き出したタイミングは。
先ほども説明したが、バブルの終わりかけ頃に「こんな依頼が来るのか」と感じたのが一つだ。
─ということは、先生が仕掛けたわけではない。
時代だと思う。今まで存在しなかった仕事が増えたり、存在していた仕事がなくなったり…。そんなタイミングだったのではないか。
─そこから海外でも有名になり、さまざまな賞も受賞されている。
無理難題もあったが、周囲の要望に一生懸命に取り組むうち、いつの間にかこうなっていた。だから最近では、花と人にご縁をいただき、両方に助けられているから「花人」なのかなと思っている。
─花で人がつながり、人がまた花でつながって輪が広がっている。一輪の花に共感してもらったり、100本、1000本の花で人の心に訴えかけたり…。そんなイメージで活動をされていると。
花はメッセージ性のあるコミュニケーションツールだ。花束をもらうと「わーっ、ありがとう」とテンションが上がるし、辛い出来事があっても花を見ればなぜか癒やされる。僕の年代より上の男性は「花のこと、なんもわからんねん」と言いながら、「嫁はんに買うのはちょっとかっこ悪いけどな、怒ってそうやから」と言いながら花を買ったり、「花なんてプロポーズの時ぐらいかな」と照れくさそうに言ったり…。キザ過ぎて贈るのを躊躇するほど花にはメッセージ性がある。 さらに言えば、人種や宗教、文化が違えど、花が訴えかけるメッセージは共通している。だから僕は〝花は世界の共通語〟だと思っている。
─先ほど美術館を見させていただいたが、モノクロで表現された花の写真がずらりと並んでいた。モノクロなのにまるで色が付いてるように想像をかき立てられた。
見ていただく人に、どうクエスチョンを持ってもらうか。僕は疑問を持つことが、 一番大事だと思っている。仕事を終えたとき、いつも「これでよかったのか」と疑問を持つ。「やはり、こうだったのかな」とか「次にやるときは絶対こう」とか。