「どんな善意も、受け付けない時期がある」 山田ルイ53世が感じた“普通”の呪縛
度を越した完全主義で、勉強も思うようにできない状況に
勉強については、やりたくないというよりは、やりたくてもできない、こんなことをしても意味がない、という思いのほうが強かったと言います。 山田さんには、勉強に取り組む前にやらなくては気が済まないルーティンが膨大にあり、のちに専門家から「強迫性障害(強迫神経症)だろう」と言われるような状況でした。 「通信教育を受講したこともありましたが、机に向かうまでのルーティンがとにかく多かったので、なかなか勉強までたどり着けませんでした。たまにたどり着いても、この環境で勉強しても身に付かない、意味がないと思ってしまって。特に理科は、自宅では実験ができないので、こんなのは本物の勉強じゃない、あかんと。 もともと完全主義の傾向はあったんですが、それが肥大化し、100%きちんとしなきゃダメ、少しでも欠けたらアウト……と思って、結局、何もできていませんでした」
今も感じる「普通」の呪縛。キラキラしてなくたって、別にいい
引きこもっていた時期は、「普通」の呪縛がしんどかったという山田さん。大人になり親となった今も、「普通」への違和感が拭えないと言います。 「普通ってなんでしょうね。普通の範疇(はんちゅう)にいれば安心で、ちょい上なら優越感があって、外れたら不安や焦りや劣等感を感じてしまう。普通じゃなきゃいけない、という圧がすごいなと。当時の僕にとっていわゆる普通ははるか上の頂でしたし、それに比べて自分はあかん……と落ち込んでいました」 さらに、世の中の「普通」や「良し」とされる状態の偏りが生きづらさを生んでいるのではないかと、山田さんは考えます。 「普通のハードルって、実はすごく高くないですか? 今の世の中を見ていても、趣味があって、夢があって、イキイキ毎日を過ごしていて、人生を謳歌(おうか)して……『キラキラしてなきゃいけない圧』があると思うんです。 いやいやそれもいいけども、それが普通じゃないやろう、キラキラしてなくたって別にええやんかと。なんかそれしんどいでと、僕なんかは思ってしまうんです。子ども向けの講演で、無理して夢を持たなくていいんだよと言ったら、ちょっと引かれましたけどね(笑)。そういう意識を変えていけると、もうちょっと人は生きやすくなるのかなと思いますね」 ─── 引き続き山田さんには、今だからこそ語れる親への思いや、子どもが不登校や引きこもりになったとき、保護者にはどんな心構えでいるとよいか、ご自身の考えをお聞きします。(続く) (聞き手/文:笹原風花)