「どんな善意も、受け付けない時期がある」 山田ルイ53世が感じた“普通”の呪縛
お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さんは、勉強もスポーツもできる「神童」から一転、中学2年生から約6年間、引きこもりを経験しました。夏休み明けから学校に通えなくなり、少しずつ引きこもり生活が長引くなか、何を思いどのような生活を送っていたのか。当時の様子を語っていただきました。
今の自分は「仮の姿や」。自己肯定と自己否定を繰り返す
引きこもるようになった当初は、「なんでオレがこんなことに!?」という戸惑いが大きかったという山田さん。時間がたつにつれ、「普通」に生活を送る周囲やかつての自分とのギャップに焦りが増していったそうです。 山田さんは、当時の心境を「まるで着ぐるみを着ているような感覚だった」と振り返ります。 「勉強も何もしていないし、どんどん太って着られる服がなくなって、パンツ一枚でフラフラして母親からは『白ブタ』と呼ばれる始末……。それでも、今の自分は本来の自分、『神童』だった優秀でカッコいい自分じゃない、これは仮の姿やと思っていました。背中のチャックを開ければ中には本当のオレがいるんやで、と。 自分の部屋から望遠鏡で家の前の通りを行き交う人たちの様子をのぞいて、『普通』の生活を垣間見ては、外の世界からあおられているような気分になったりもしていましたね」 そして山田さんは、自己肯定と自己否定をくり返すようになっていきます。 「頭の中では『こんな状況、いつだって挽回(ばんかい)できる、だってあの優秀なオレやで』という自己肯定と、『オレは何してんねん、もうあかんわ……』という自己否定をグルグルとくり返していました。まさに躁鬱(そううつ)のような状態。学校にも行かず引きこもって、一見すると暇そうですけど、頭の中はそんな思考で忙しくて、1日が終わるころにはヘトヘトになっていました」
どんな言葉も、善意も、受け付けない時期がある
学校の友達や先生が様子を見に来てくれたこともありました。応対はしたものの、内心は冷ややかだったと振り返ります。 「どうせオレのことを哀れんでいるんやろうとか、偽善やとか、うがった見方をしていましたね。先生の言葉も跳ね返していました。 引きこもりや不登校にはいろんなケースがあると思いますが、自分の経験上、誰のどんな言葉も善意も受け付けない時期がある。身のまわりに引きこもりや不登校の子がいる人には、あなたが何を言ってもやっても相手に響かないのは、あなたのせいじゃないですよ、仕方ない場合がありますよと伝えたいですね」 学校に行こうとしたこともあったそうです。夜には「明日は学校に行こう」と思うものの、朝起きるとその気持ちがしぼんでしまい、結局、学校には一度も足を運ばないまま退学することになります。 「はたから見ると滑稽ですが、自分の中の『神童感』は根強く、自分は優秀な人間だというプライドが邪魔をしていました。太って変わり果てた姿をさらすのも、長く休んで勉強ができていない状態で学校に行くことも、到底できなかったんです。そんな自分は認められなかった。自意識が強くて、周りからどう見られるかという壁も越えられませんでした」