JRAが創設された1954年の世の中は? 競馬界では69年間続く“ジンクス”のきっかけも
今週末は3日間開催となっているが、最終日の16日(月)は日本中央競馬会の創設70周年にあたり、「JRAアニバーサリー」と銘打ち様々なイベントが予定されている。JRAは競馬の健全な発展を図り、馬の改良繁殖や、その他畜産振興に寄与することを目的として1954年のこの日に設立。70歳の“誕生日”を前に1954年の世相や競馬界などについて振り返ってみよう。 【写真】69年後にテン乗りダービーVとなったタスティエーラ のちにクラシックを制するミスオンワードやヒカルメイジが生まれた1954年、前年には白黒テレビの放送がスタートし、冷蔵庫や洗濯機、トースターが世に出始めるなど、高度経済成長期目前。出来事としては自衛隊が発足したほか、怪獣映画『ゴジラ』の第1作目が公開された。 街は戦後復興が進み、交通インフラの整備や市町村合併も加速。都内で地下鉄丸ノ内線の池袋-御茶ノ水間が部分開業。これは戦後初の地下鉄開業であった。また東京競馬場の所在地である府中市、阪神競馬場が位置する宝塚市が市制移行。両市とも今年、JRAと同じく70周年の節目を迎え、記念競走が実施されたことは記憶に新しい。 スポーツ界に目を向けてみると、プロ野球のセ・リーグは中日ドラゴンズ、パ・リーグは西鉄ライオンズが優勝している。両者の日本シリーズは第7戦までもつれる熱戦となり、4勝3敗で中日が史上初の日本一。また、日本初の国際プロレスリング大会が蔵前国技館で開催されている。その模様はテレビでも生中継され、力道山らが見せるファイトに人びとは熱狂したという。ちなみに放送界ではこの年、在京民放ラジオ局初の競馬中継が日本文化放送(現・文化放送)によって日本ダービーで実施された。 競馬界では“ジンクス”として語り継がれる出来事があった。同年の日本ダービーは、ゴールデンウェーブに騎乗した岩下密政騎手が、「テン乗り」で勝利している。このジンクスは、D.レーン騎手が昨年に破るまで69年間も継続し、「テン乗りでダービーは勝てない」は有名な格言のひとつとなった。そのほか、競走馬ではハクリョウが天皇賞(春)、ダイナナホウシュウが皐月賞、菊花賞を勝つなど活躍。レースでは日経新春杯、毎日杯が創設されたほか、音無秀孝師や鮫島一歩師、藤沢則雄師が誕生している。