「知の王者」物理学の栄光と黄昏……「コスパ時代」に科学が生き残る道はどこにある?
2つの物理
これまで述べてきたような20世紀における物理学の規模拡大、諸科学・技術への浸透のために、100年間の各時代で、「物理学」という言葉が指していた内容は大きく変化してきた。 例えば、高校での理科は物理、化学、生物、地学となっている。しかし、物理の科目はけっして大学の理学部物理学科へ行く生徒だけが履修すればよいようなものではない。数からいえば圧倒的に工学部の機械、電気、材料、土木、建築などへ進学する生徒が履修するものである。さらに、理学部の中でも天文、地震、気象、海洋、鉱物といった分野でも物理は欠かせない。生物物理、化学物理、医療物理、金融物理などという分野もある。その意味では、電気も地震も物理学であった。 寺田寅彦は現在では地球物理学者として記憶されているが、寺田には『物理学序説』の未完原稿がある。東京大学で地球物理学が物理学から分かれていったのは、関東大震災(1923年)がきっかけである。 その一方で、理学部物理学科や日本物理学会が現在カバーしているような研究が物理学だという認識も世間にはある。そして、そこでしかやっていないような「ニュートリノの質量発見」や超弦理論などが、現在の物理学のイメージを形成している。本来は広義の物理であるべき高校「物理」の教科書編者も、たいていはこういう物理学者であった。しかし、筆者が大学受験に挑んだ当時の「物理」の受験参考書の著者は、雑誌『ニュートン』の創刊で有名な地球物理学者の竹内均であった。 こうした広義と狭義の2つの物理学を単純に「古い物理と新しい物理」「理学と工学」「基礎と応用」「フロンティアと後衛」といった分類で片付けることはできない。 高温超伝導や量子コンピューターといった、ハイテクか純粋物理の研究か明白に分類できないような課題も数多くある。また、物理が大きな寄与をした地球、生命、材料といった独立している領域に物理の新たな芽があるのかもしれない。100年単位で物理のことを考える際には、物理学のこうした変容に注意する必要がある。 大事なことは、物理学の体系は対象を超えた普遍的な法則の発見に突き動かされていることである。そのためには、ある特殊な現象をターゲットにした徹底的な解明が必要であるが、主要な関心は新しい汎用性のある概念や法則とその現われ方、すなわち一般理論にあると言ってよい。”もの”自体というよりは”ものの見方”を追究しているのである。20世紀の物理学が原子の世界の言葉として発見した量子力学、また電磁気学に隠されていた時間空間論としての相対論、これらはまさにそのような一般理論である。 原子の世界を超えて素粒子などのさらに新しい対象に挑戦しているのも、そういう新しい一般理論の探究のためであり、そこに「万象の法則」が隠されているからではない。