「知の王者」物理学の栄光と黄昏……「コスパ時代」に科学が生き残る道はどこにある?
セントラルドグマは「原子」
例えば、人類や地球の崩壊のような文明絶滅の危機が迫り、文明の核心をノアの方舟のようにして残そうという緊急事態に直面したとする。多くは積めないから、人類の知識を電子媒体にでも入れて残そうという提案が出されるかもしれない。デジタル化すれば膨大な内容を小さな容積に押し込めることができるから、なかなかの名案のようである。 しかし、落ち着いてからこれを読めるコンピューターを動かせるかと考えると、単なる”迷案”であることに気付く。 アメリカの物理学者リチャード・ファインマンは、こうした緊急事態で言い残すべきことは何かと問われれば、「物質は原子からできている」というメッセージだけで十分だと言っている。このメッセージがあれば、我々が発見したさまざまな科学の知識はパンドラの箱のように再生できて、早晩、現代社会が実現した文明も再現できるというわけである。 確かに、20世紀の科学と技術のセントラルドグマは原子である。
「帝国」の版図拡大
19世紀末から20世紀の初頭にかけて、すなわち1895年から1925年頃にかけて、物理学は原子と量子力学を獲得した。 この知識を基礎に物理学はその後3つの方向に帝国の版図を拡げた。特に、規模が拡大した1950年代以後、その傾向が強まった。よく言えば多様化、悪く言えば分業化が起こった。この繁栄とともに、物理学が広い教養としての知識の世界から退場していったのは寂しい限りである。 繁栄は3つの方面に展開した。 1つは眼前のマクロの物質世界をその背後にある原子の仕業と見なして解明し、その仕組みを制御することでマイクロチップやCTスキャンなどを可能にした。 2つには、原子世界の制御で発明された機器を用いて、原子よりさらにミクロな原子核や素粒子の世界、天体宇宙の世界を解明した。 3つには、コンピューターの進歩も一因となって、世紀の初めから提出されていた複雑な振る舞いをするシステムのダイナミクスを解明する数理的手法を発展させた。第3の方向は必ずしも原子の世界を必要とはしていないが、現象をこの課題として明快に整理できるのは、原子世界まで含めた物理学ができたことによる。