柴田理恵「人生のしまい方を見せてもらっている」遠距離介護で感じた親との向き合い方
女優として舞台やテレビのバラエティ番組など幅広く活躍する柴田理恵さん。現在、東京を拠点に仕事をしながら、富山県に住む92歳の母の遠距離介護を続けている。離れた場所から介護が必要な高齢の母と向き合う中で、親子の距離感や直接介護してくれる人たちとの関係に発見があったという。柴田さんが遠距離介護に至った経緯や向き合い方、高齢の母に対する今の思いについて聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
92歳の母を遠距離介護。心がけていることは「次の目標をつくること」
――遠距離介護されていると聞きました。どのようなきっかけがあったのでしょうか? 柴田理恵: 母は今92歳で、富山県の八尾という山間の場所に住んでいます。2016年に父が他界してから一人暮らしになって、それからしばらくして体をこわしました。それまでは介護認定が要支援だったのに、いきなり要介護4になってしまったんです。 そのとき母に「東京に来る?」と聞いてみました。そうしたら、絶対に嫌だ、と。「私が生まれ育った土地は私のものだから、私はここを離れない」とか「私の人生は私のもので、あんたの人生はあんたのもの。あんたが仕事を辞めて私の介護をするのは賛成しない」と言うんです。私の周りにも田舎のお母さんを引き取って面倒を見ている方はたくさんいますが、東京に母を呼ぶとか、私が仕事を辞めて富山に住むのとは違うやり方で介護しないといけないんだなと思いましたね。 その後、母が歳を重ねるにつれて、ちょっとしたことで入院するようになりました。退院してもリハビリのための施設に入って、調子が良くなると一人暮らしの自宅に戻るということを繰り返すようになって。コロナ前は私も富山と東京を頻繁に行き来してサポートしていました。それでも「自分の家で死にたい」「一人暮らしを続けたい」と本人も頑張っています。
――コロナになって行き来が難しくなりましたが、お母さまとどう接していたのですか。 柴田理恵: 東京から地方に行くことがはばかられて、特にコロナ初期は富山の母の元には全然行けませんでした。その間はとにかく毎日電話をしました。その中で感じたのが、お年寄りにとっては直接会うことも大事だけれど、なにかやりたいこと、希望があることが大切だということです。だから、私はちょっとずつ希望を持たせるということをやっています。 最初に母と一緒に目標を決めたのは、最初に倒れて要介護4になったあとです。母のもとに駆けつけたとき、「お母さん」と呼びかけても言葉が出ないくらいになっていました。医師からは延命治療をどうするかたずねられるような状況で、このまま亡くなってしまうのかもしれないと思いましたね。でも、1週間後には意外と元気になって話もできるようになったんです。話せるようになった母に、「お酒、飲みたい?」と声をかけました。母はお酒が好きなんです。母は「飲みたい」と答えたので、「次のお正月に私と一緒に家でお酒を飲もう」と約束してこれを目標にしました。「病気を治して、ちゃんと食べて、歩く練習をして頑張ろう」と言ったら、「頑張る」と答えてくれました。 倒れたのが10月でしたが、次のお正月は病院から戻って、ちゃんと実家で一緒にお酒を飲むことができたんです。コロナの最中も、お正月だけは絶対に実家に帰りました。母がお正月に私と一緒にお酒を飲むのを楽しみにしているからです。あと、母は犬も好きなので、私の飼っている犬を触るまでは頑張るとか、そんなふうに少しずつ小さな目標を増やしています。