「趣味は医者」と豪語…現場が好きなベテラン脳外科医がキャリアをなげうって選んだ「意外すぎる進路」
定年前の50代で「アルツハイマー病」にかかった東大教授・若井晋(元脳外科医)。過酷な運命に見舞われ苦悩する彼に寄り添いつつ共に人生を歩んだのが、晋の妻であり『東大教授、若年性アルツハイマーになる』の著者・若井克子だった。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 2人はどのように出会い、結ばれ、生活を築いてきたのか。晋が認知症を発症する以前に夫婦が歩んできた波乱万丈の「旅路」を、著書から抜粋してお届けする。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第50回 『牧師の「説教」の最中に会場中が笑いに包まれる!?…キリスト教徒の著者が見た日本とアメリカの「決定的な違い」とは』より続く
1985年に帰国
アメリカから再び帰国したのは1985年だ。私たちは栃木に戻り、晋は獨協医大に復職する。教授にならないか、という話もあったそうだが、本人に出世欲はない。 「私はキリスト者ですから、違う人生があります」 そう言って断ったそうである。一方、不在にしている間に、大学の体制はだいぶかわっていたようだ。 〈ここに居場所はない〉 そう感じたのだろう、晋は1991年、44歳で大学を辞し、たまたま空いていたJOCSの総主事(統括責任者)を引き受けた。かつてワーカーとして派遣された彼が、一転、派遣する側になったわけだ。 総主事の仕事は2年続き、その後も「とちの木病院」に勤めながら、JOCSのボランティアとして活動した。 この間、海外派遣されたワーカーの問安などで32回におよぶ海外出張を経験、「開発途上国」と呼ばれる地域にもたびたび足を運び、国際保健活動にのめりこんでいく。 総主事の任期が終わった後、晋は、「とちの木病院」脳神経外科医長、獨協医科大学の教授とキャリアを積んでいくが、国際保健分野への関心が消えることはなかった。英語の苦手な私にはよくわからないが、論文を書きため、「The Lancet」など、海外の著名な雑誌に幾度も掲載されていたようだ。 初めての本『いのち・開発・NGO 子どもの健康が地球を変える』(新評論)を共監訳で出版したのも、このころだ。