「東京の学校に送り込め!」、盲学校の「中学受験」は「一大プロジェクト」…東京金・木村敬一が親元を離れるまで
2021年の東京パラリンピックで金メダルを獲得し、今夏のパリ大会にも出場予定の全盲(ぜんもう)のスイマー、木村敬一さん(33)。世界で戦うパラアスリートは、どんな幼少期を過ごしたのか。(読売中高生新聞編集室 高田結奈)
2歳で視力を失ったけれど
「先天性(せんてんせい)の病気で、2歳のときに視力を失いました。住んでいた滋賀から福岡の病院まで通って、入院や手術を繰り返しましたが、視力が回復することはありませんでした。
目が見えなくても、小さい頃から活発に動いていた方だと思います。三つ上の姉がいて、姉とその友だちが遊んでいるところに、よく仲間に入れてもらいました。自宅近くの神社を散策したり、どんぐりを拾ったり。神社の参道には小さな川のような水路があって、ある時、姉や友だちがそこを飛び越えていたのですが、僕は距離感がわからないので、そのまま水の中に落ちてしまいました。他にも、姉にはできるのに、僕はできないことがあると、いつもがっかりしていたことを覚えています。負けず嫌いなのかもしれません」
水泳を始めたのは、母の勧(すす)めがきっかけだった。
「滋賀県立盲学校に通っていた頃、僕はわりと足が速くて、マラソン大会で伴走(ばんそう)してくれた年配の先生は、ついてくるのがやっとだったそうです。それに、いつも動き回っていたので、ぶつかったり転んだりして、ケガが絶えませんでした。母はそんな僕に『安全にたくさん運動させてあげたい』と、小学4年のときにスイミングスクールに入れてくれました。『プールの中なら、ケガの心配もなく、全身運動ができる』と考えたみたいです。
その翌年の2001年には、世界水泳が開かれました。ちょうど、イアン・ソープ選手の全盛期で、僕は彼の活躍にあこがれました。圧倒的な強さで、どんどん金メダルを取っていくんです。まさにヒーローでした。ドラマやアニメの主人公にハマるように、テレビにかじりついて中継を聞いてました。