「敵将・阪急の上田監督の抗議のおがげで勝てた」ヤクルトで通算191勝・松岡弘氏が語る日本シリーズ激闘秘話 広岡監督との確執&40年後の感謝の言葉
最強・阪急との日本シリーズ
セ・リーグを制したヤクルトは昭和53年の日本シリーズで阪急と対戦。前年まで日本シリーズ3連覇を達成していた阪急を4勝3敗で下し、初の日本一に輝いた。 徳光: 日本シリーズの相手は3年連続日本一の阪急。すごいメンバーでしたよね。 松岡: そのとき、僕らピッチャーだけでミーティングしたの。ここで披露しますけど、「おい、4連敗だけはやめような」。セントラル・リーグのチャンピオンなんでね。 徳光: ということは、逆に言えば、「1勝だけはしよう」と。 松岡: そういうことです。「そのためには、ピッチャーで頑張らないと」って。そしたら逆にピッチャーが助けられましたね。バッターがすごく打ってくれた。 この日本シリーズで松岡氏は4試合に登板して2勝2セーブと大活躍。最終第7戦では4対0の完封勝利でヤクルトに歓喜の瞬間をもたらした。この第7戦では6回裏にヤクルト・大杉勝男氏が左翼ポール際に放ったホームランの判定を巡って、阪急の上田利治監督が猛抗議。1時間19分にわたって試合が中断される事態となった。 徳光: すごいのは7戦目ですよね。気合いが入りましたか。 松岡: 入るどころじゃないです。全く気合いが入らない。もう疲れちゃって体が動かない。やっぱり7戦目になると、ピッチャーもみんな疲れがたまってる。 1番は大杉さんのホームランなんですよ。あれで勝ったから。実は、あの上田さんの抗議があって5分、10分、15分、20分、30分…、ものすごく助かった。 徳光: そういうことがあるんだ。極論を言えば上田さんの抗議のおかげで完封できたわけですか。 松岡: そうです。あのアピールのおかげ。もう疲れて疲れて、ボールを自分で追っ掛ける余裕すらないくらいにフラフラしてたから。 徳光: もしあれが十数分の抗議だったら、ちょっと違ってたってことですか。 松岡: 抗議がサッと終わってたら、追加点でホッとしてるのと疲れがガバッて出てくるのとで、多分、次のイニングに追っ掛けられてる。あのまま投げてたら、あんなゲームになってないと思う。上田さんに「もっと行け、もっと行け」って思ってた。 徳光: すごい話だね、これ。 でも、リーグ優勝の試合も日本一の試合も、松岡さんが完封勝利。やっぱり松岡さんのところに巡り巡ってくるんですよ。そこで松岡さんは立派に答えを出してるわけです。 松岡: セ・リーグで勝ったっていうのと日本一になったっていうのと、その両方が僕にとっていい勲章ですね。 (BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/6/18より) 【中編に続く】
プロ野球レジェン堂
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