「敵将・阪急の上田監督の抗議のおがげで勝てた」ヤクルトで通算191勝・松岡弘氏が語る日本シリーズ激闘秘話 広岡監督との確執&40年後の感謝の言葉
昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る! 【画像】松岡氏が王貞治氏から受けたアドバイスとは ヤクルトのエースとして活躍した松岡弘氏。昭和53年には大車輪の活躍でヤクルトの初優勝&日本一に貢献して沢村賞を受賞、昭和48年には自己最多の21勝を挙げるなど、速球を武器に通算191の勝ち星を積み上げた。ヤクルト史上最高の右腕に德光和夫が切り込んだ。
V9巨人と真っ向勝負も
徳光: この右腕が191勝ですか。 松岡: 191勝しかさせてもらえなかったですね。 徳光: なるほど、あと9勝ですから200勝までいきたかったですかね。 松岡: でも、あの頃の巨人と戦ったから僕は191勝もできたのかな。燃えたから。やっぱり巨人にだけは絶対負けたくなかった。勝ちたいっていうより負けたくなかった。 徳光: 私はジャイアンツファンですから松岡さんを見てたのは巨人戦が多いんですけど、記憶にあるのは、前半すごいピッチングをしてても後半によく打たれる。あれはどうなんですか。 松岡: バテるんですよ。 徳光: やっぱり圧がすごかったんですか。 松岡: 他のチームと違うのはそこなんですよね。土井(正三)さんに聞いたのかな。ゲーム中に川上(哲治)さんが、「おーいマツ、7回までな。8回、9回…。うん、行くぞ」って、選手みんなに言うんですって。 ということは分かってたんですよ。精神的にも肉体的にも、だいぶ疲労がたまってきてるところに、例の巨人の野球をやってくる。走るぞ、バントするぞ、何するぞって細かいことやってきて、ものすごく振り回されて。で、もう投げられない。バーン、バーンッて打たれる。しょっちゅうあったんです。
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