「敵将・阪急の上田監督の抗議のおがげで勝てた」ヤクルトで通算191勝・松岡弘氏が語る日本シリーズ激闘秘話 広岡監督との確執&40年後の感謝の言葉
“屈辱の1カ月”から悲願の初優勝
昭和53年、広岡達朗監督が率いるヤクルトは球団創設29年目にして初のリーグ優勝と日本一を成し遂げた。この年、松岡氏は43試合に登板し16勝11敗2セーブ、11完投と大車輪の活躍で優勝に貢献、沢村賞に選ばれた。 徳光: 松岡さんといえばなんといっても、ヤクルト初優勝の原動力ですよね。 松岡: 原動力になりましたね。広岡さんに野球を教わった。でも、反発しまくったからね。 徳光: 広岡さんにですか。 松岡: だって、僕、6月に1カ月近く干されたって言ったらアレなんだけど…。あのときの屈辱は今でも思い出す。ゲームに使ってくれないんですよ。「なんで俺がこんなことを」って。 徳光: エースでしたからね。でも、広岡さんとしては、6回、7回までいいピッチングをしていながら、8、9回で打たれるのが…。 松岡: 要するに甘さ。無駄なことをしすぎる。「無駄な体の使い方をして6回、7回までにスタミナを使ってしまうから後半崩れる。人間はバランスなんだから。そうすると絶対にスタミナを使わない。その投げ方をするにはこうだ。その1点だけ覚えろ」って。 徳光: どういう練習をしたんですか。 松岡: 一本足立ち、王さんと一緒です。王さんの場合は左足一本で構えるじゃないですか。そのときに絶対動かないんですよ。ボールを呼び込めるから。 松岡: 僕の場合は、「投げるときに右足一本できれいに立ちなさい。その足の裏、重心が来てるところが自分のおへその下にいつもあるように」。これは広岡さんの教えの鉄則みたいなものなんですけど、「それが分かるには1カ月以上」って。 徳光: 再登板のきっかけは。 松岡: 練習のとき、ピッチングコーチから「マツ、監督からOKが出たぞ。今日、先発だ」と。俺、そのとき初めて監督の前に行って、「ありがとうございました」って頭を下げました。
40年後の広岡監督「感謝してる」
7月2日、松岡氏は約1カ月ぶりの登板で中日を相手に1失点完投勝利。この後、7月、8月の2カ月間で16試合に登板し、9月には8試合に登板して6勝無敗で月間MVPを獲得。リーグ優勝を決めた10月4日の試合では完封勝利で胴上げ投手となった。 徳光: 広岡さんは、その後の大車輪の活躍を読んでいたんでしょうし、ある意味では松岡さんを教育したわけですよね。 松岡: そうですね。 徳光: 教育して大エースにした。この球団が優勝するためには、松岡をおいてほかにはないという決断があったんだと思うんですけど、広岡さんとそういう話をしたことは。 松岡: この前、ちょっと取材させてもらって、最後にそういう話を聞いたんですよ。 「お前に頑張ってもらわないと優勝できないから、俺は歯を食いしばって、我慢の限界までお前を…。だから、本当にお前に感謝してる。お前のおかげだ」って言われて、それでもう、今までのうやむやがバーッと吹っ飛んだ。「良かった。この人にこんなに感謝されてる」と思ったら。 徳光: 結構、時間がかかったわけですね、吹っ飛ぶまでにはね。 松岡: かかりましたね。
【関連記事】
- 【中編】ドラフト5位指名も「交渉しません」…ヤクルトのレジェンド・松岡弘氏が明かした入団裏話 高校の1年先輩・星野仙一氏は当時から変な意味で有名人!?
- 【後編】「9時に銀座だからストライク放れ」豊田泰光氏が石を投げてきた!“ヤクルトの大エース”松岡弘氏が語る個性派チームメイトとライバルバッターたち
- 球史に残る巨人との日本シリーズ…“史上最高のサブマリン”阪急ブレーブス・山田久志氏が明かした王貞治氏に打たれたサヨナラ3ランHR裏話
- 江夏豊氏・伝説のオールスター9連続奪三振…そのとき捕手・田淵幸一氏がひそかに考えていた作戦とは? キャッチャーになった驚きの理由
- 長嶋茂雄氏を手玉に取った平松政次氏の「カミソリシュート」誕生のきっかけは“謎のおじさん”だった!? 他の投手にはできない投げ方