永遠の命は可能か?サイボーグ化、人のからだの交換部品を作り出す技術進展
脳も交換
また、脳神経回路の解析技術は、脳の交換可能性を大幅に高めるだろう。からだと同様、脳も交換可能になれば、人の寿命の延びはさらに加速するだろう。 脳神経はあまりにも複雑なので、部分的にせよ交換は難しいのではないか、という気もするが、楽観的になれる技術も出てき始めている。 人の神経回路網がもつ柔軟な適応能力だ。人の神経回路網は、そもそも群れで情報処理をしている。一つの神経細胞が何らかの意味を表すわけではなく、いくつもの神経細胞群の発火パターンが何らかの意味を表す。そして、訓練すれば、ある場所の神経回路網が他の場所と同じ処理をこなす、というようなことも難しくない。 たとえば、脳梗塞を経験した人がリハビリをすると、失われた運動能力や言語能力が再現する。これは、脳梗塞により失われた脳神経回路とは別の脳神経回路が、同じ機能を代替することによる。また、強引な研究だが、大脳の視覚野に耳を、聴覚野に目をつないでやると、なんと、視覚野が聴覚情報処理を、聴覚野が視覚情報処理を行えるようになるという。 だから、実は、ある程度ラフに人の脳神経回路網と人工の神経回路網をつないでやれば、しばらくのリハビリの後に、人の脳神経回路網のほうがその接続に適応するというマジックが期待できる。脳神経回路網一本一本の役割がすべて解明されていなくても、どこに何をつなげばどんなことができるのか、ということが明らかになっていくのだ。そんなわけで、多くの脳神経学者やロボット工学者が予想するよりもかなり早い時期に、人のサイボーグ化が進展していくだろう。 サイボーグ化できないのは〈私〉だ。なにしろ、〈私〉は自己意識のクオリアだから、これを入れ替えることができたとすると、前野隆司がいなくなり、前野隆司2号になってしまう。 幸い、〈私〉は無個性なクオリアに過ぎないから、〈私〉を作り出すニューラルネットワークは、大脳全体に比べればはるかに小さい。だから、もしも〈私〉がどこにあって、他の箇所とどんなふうにつながっているかが解明されれば、それ以外のからだと脳のすべてをサイボーグ化することによって、人は生きながらえることができるようになるだろう。〈私〉以外の部分の調子が悪くなったら、人工物に交換すればいい。身体と心の機能が、義手、義足、義眼、義「知情意」、義「私」といった人工物に代替され、究極的には、〈私〉以外のすべてを置き換えることができるようになるだろう。 あと50年で人の平均寿命が今の2倍になる、という私の予想は、今述べたような理由により、はったりではない。楽観的であることは認めるが、実現不可能な夢物語ではないと思っている。20世紀はコンピュータがどんどん進歩した時代だったのに対し、21世紀は人の寿命がどんどん延びる時代になる。 科学技術の進歩はとどまるところを知らない。楽観的な予想をさらに延長すれば、以下のようになる。 人の寿命をいま200歳くらいにできるならば、そして、科学技術がさらに順調に進展するならば、今から100年から200年の後には寿命を300歳にするくらいの技術が見つかることだろう。だから、人は300年生きられることになる。次の100年のうちには寿命を400歳にするくらいの技術が見つかるだろうから、400年生きられる。400年生きていれば……。残念ながら私たちの世代には間に合わないが、私たちの子供の世代では画期的な長寿が実現できるのかもしれない。