「かっこいいと言わせたい」――世界初のプロレス義足で戦うレスラーと義肢装具士の挑戦
次の“野望”は「パラレスで金メダル」
さいたまスーパーアリーナの大舞台。小畑さんは花道を歩く谷津さんをリングサイドから見つめていた。「あの入場は……かっこよかった。谷津さんも義足も」。試合は谷津さんの大暴れで熱狂を生む。義足もそれを支え、盛り上げた。 小畑さんが普段、義肢などで接している子どもたちに谷津さんのプロレス写真を見せると喜んでくれた。そして、意外な反応が返ってきた。 「高校生と小学生の2人の女の子が、将来義足を作る人になりたいって言ってくれたんですよ。やっぱり、うれしかったです」 谷津さんの諦めない気持ち。川村義肢の願いを酌み、かたちにする力。谷津さんも「リングに上がってよかった」と振り返る。 「情熱とチームワーク、義足はその結晶ですもんね。だけど、それにしても(川村義肢さん)よく作ったよ、こんなん」 義足デビュー2試合目となる7月の試合では、タッグ王座まで獲得してしまった。 「義足に恥じないコンディションづくりを逃げずにしていかないと」と谷津さんは意欲的だ。さらに新しい目標に向かう。 「今度パラリンピックあるじゃないですか。だから“パラレス”という競技をつくってみたいんですよ。足が不自由な選手でも膝から上だけで競えるレスリングを。そこで選手として金メダルを獲る。それが最終目標。それを目指せば、まだ俺生き延びていけるんじゃないかと思ってね」
今後のリングでも、若手にどんどん本気でかかってきてほしいと谷津さんは考えている。猛者ともぶつかりたい。それが力になり、夢へと近づく一歩となる。年齢は関係ない。 それを聞いた小畑さんは、0歳児の時から義足を手掛ける小学4年生の男の子が、学校の生徒たちの前で言ったというエピソードを思い出す。 「遊んでいる時にみんな気を使って本気を出してくれない。僕からのお願いが一つあります。僕は何でもできるチャレンジャーだから、気を使わないでください」
対戦相手のレスラーは、遠慮せずに真っ向からぶつかった方がいい。それが義足レスラー・谷津嘉章の願いでもある。 ーーー 谷津嘉章 プロレスラー 1956年7月19日生まれ。群馬県邑楽郡出身。レスリング・フリースタイル重量級で五輪代表に2大会連続で選ばれる。1980年、新日本プロレスに入団しプロ転向。以降全日本プロレス、SWSなどを経て、自ら団体を立ち上げるなど活躍し2010年に引退。19年に糖尿病の影響により右足を切断するも不屈の闘志で再びマットに上がっている。 川村義肢株式会社 1946年創業。大阪府大東市に本社を置く義肢装具業界のリーディングカンパニー。義肢や装具のほか、車いす、リハビリテーション器具の製造・販売を行っている。オーダーメイド、アスリート用、さらには動物用など高度な技術を必要とする義肢・装具の開発でも知られる。 岩瀬大二 ライター、酒旅ナビゲーター、MC。幅広いジャンルの2000人以上のインタビュー記事を執筆。全日本女子プロレス道場の近くに生まれ、ショーン・マイケルズと同い年。国際プロレスから始まり、ハンセンの入場時にブルロープで殴られ、三沢対小橋に泣き、海外のプロレスで英語を学ぶというプロレスファン人生を歩む。返し技・丸め込み技全般が好物。