大黒摩季さんが愛車歴を初披露! 赤いアウディから始まったアーティストらしいカーライフとは? ZARD・坂井泉水さんとの知られざるエピソードも
愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第41回。前編は、アーティストの大黒摩季さんが、かつて乗っていた懐かしのオープンカーと再会! 【写真】大黒摩季さんの愛車歴の詳細はこちら!
クルマは“脱出”の手段だった
「クルマは私にとって、唯一の脱出の手段でした(笑)。あの時期は、曲を作って、レコーディングして、ミックスダウンする頃には次のタイアップ曲の話が来て……と、まるで野麦峠のようだったから。1年365日中、364日をスタジオで過ごす、っていうのを4、5年やっていたかな(苦笑)。だから時々“脱出したい!”って、ちょっとした待ち時間があるとクルマを走らせて、違う空気を吸いに行っていましたね」 ソウルフルな歌声、圧倒的な歌唱力、聴く人を元気づける楽曲。1990年代に一大ムーブメントを起こした音楽事務所「ビーイング」のアーティストとして、『DA・KA・RA』『チョット』『あなただけ見つめてる』『夏が来る』『ら・ら・ら』など数々のミリオンヒットを放ったシンガーソングライターの大黒摩季さん。 黒いジャケット、黒いストライプのパンツを纏って、1992年式メルセデス・ベンツSLの前に立つ大黒さんは、めちゃくちゃカッコいい! 乗るのは助手席ではなく、間違いなくドライバーズシートだろう。肘をさりげなくドアにかけ、風に髪をなびかせてドライブする情景が眼に浮かんだ。 「生まれ育った北海道はクルマ社会。私が高校生のころは、みんなクルマやバイクに夢中で、免許を取った先輩は『ソアラ』、『セドリック』、『スカイライン』なんかを転がして、という感じだったかな。私は高校を卒業してすぐ歌手を目指して上京、バイトしながらオーディションを受ける日々だったけど、クルマは大好きだったから、二十歳前に免許を取りましたね」
アウディでの疾走で生まれた楽曲
やがて音楽事務所のオーディションに合格し、ほかのアーティストのライブやレコーディングにコーラスやゲストボーカルとして参加、キャリアを積んだ大黒さんは、その実力が認められ1992年『STOP MOTION』でデビューする。同年にリリースした2作目のシングル『DA・KA・RA』はCMソングに起用され大ヒット。そこから『チョット』『別れましょう私から消えましょうあなたから』『あなただけ見つめてる』と立て続けにヒットを放ち、一躍トップアーティストの仲間入りを果たした。冒頭の“野麦峠のように”楽曲を量産する生活が始まったのもこの時期だ。 「音楽の仕事が軌道に乗ってきた頃、マネージャーに『クルマが欲しいなぁ』と、話していたら、探してきてくれたのが中古の赤いアウディ『80』。初めての愛車だったから嬉しくて、どこに行くのもマネージャーを横に乗せて、自分で運転していましたね。北海道まで自走して帰ったこともあるし、あのクルマにはたくさん思い出があります」 アウディ80は1970~1980年代にアウディの中核を成す小型車としてラインナップされたセダンだ。ドイツ車らしい質実剛健さとクリーンなデザインが人気を博し、とくに1980年代半ば以降、日本では“オシャレな輸入車”というイメージで女性に支持された。 大黒さんがブレイクを果たした直後の1993年にリリースしたアルバム、『DA・DA・DA』に収録されている『MAGY’92』という曲がある。アップテンポなビートに乗せ、「摩天楼突き抜けて飛ばそう/オープンで海を蹴散らしてブっちぎろう/時速200kmヘビメタで愛を殴ろう」と、歌う詞は、まさにアウディで疾走した感覚を反映したものだ。 「毎日ほんとに仕事漬け。プロになりたいと思って上京してきたから、幸せには違いなかったけど、やっぱり行き詰まるときもあった。そんなときには無性にクルマに乗りたくなりましたね。当時のマネージャーが若くて、ちょっとヤンキーっぽい子で(笑)。ふたりでサンルーフとか窓全開にして、キャーキャー騒ぎながら第三京浜を走って。そんな思い出から生まれた曲も結構あります」