「コーヒー味のお吸い物」に愕然…日本のかつお節を"ヨーロッパの台所"に広めた東京・築地の3代目社長の執念
■EUの規制を乗り越えるために… ロンドンで約4年間製造を続けたが、「こんなの長く続かない……」と和田さんは思った。 「ロンドンでは、削って、パックして販売するだけでした。カツオ自体の値段も高く、発がん性物質を削るのに3割ほど原材料を捨てていました。廃棄ばかりしてエコでもない。通関も2回に1度引っかかっていたんです。基準値内ギリギリで、通関通るか毎回ドキドキしていました。利益はほとんど出ない。私の給料も1円も出ない。かつお節をどうにかしたい気持ちがあっても、これじゃだめだなって」 その時、和田さんの頭に浮かんでいたのは、「一貫生産」。 「トラブルを抱えるんだったら、どうせなら自分で一から製造したもので責任を持ちたい。投資するならそのほうがやりがいがあるな」と考えるようになっていた。 すべてを自社で行うためには、新たな工場を見つけ、発がん性物質ベンゾピレンを含まないかつお節を製造する必要があった。可能か不可能かは分からない。ただ、和田さんの内には根拠なき自信が湧いていた。 ■「ベンゾピレン」を出さない方法を求めて 2014年2月、カツオを仕入れてカツオ節にするまでを一つの工場で行う一貫生産体制を築くために、ポーランド最大の港町グダンスクに新しい工場を立てることを決め、移住した。ロンドンで出会ったポーランド人は働き者で好印象だったから、というのも理由の1つだが、貿易港としても盛んなことから「ここだ」と決めた。 もう一つの課題は「ベンゾピレン」を出さない方法を見つけ出すことだった。EUのベンゾピレン検査に関連する文献を読み漁り、食品工場や機械メーカーを回った。 「ヨーロッパは、安全な燻製食品の作り方に関して進んでいました。そういう機械がたくさんあったんです。食品工場で『試作品作ってもらえませんか』とお願いし、機械メーカーへ行き『その機械でかつお節を作ってもらえませんか』と頼み込みました」 和田さんが「使わせてほしい」と頼むのは、新品の燻製機。担当者からは「1度使用すると新品として販売できなくなるだろう!」と断られ続けた。それもそうだ。これから売ろうとしている機械を使わせてくれ、と言われ、はいどうぞ、とはいかない。 「そこをなんとかお願いします。うまくいったらあなたの機械、たくさん買いますから」 そう頭を下げ、何度も何度も頼み込んだ。5~6軒の食品工場と機械メーカー3社を訪ね、ようやく貸してくれる1軒の機械メーカーと出会った。そのメーカーの担当者は親日家で、「日本人」ということで信用してくれた。 「『しょうがねえな』と文句を言われながらも、機械メーカー工場の外にある一角を使わせてもらい、試作品作りを始めました。その時は、まだ成功するかも機械を購入するかも分からなかったんですけど……」