一箱5000円のジャガイモも買ってしのいだ日々 餓死寸前の高齢者も…コロナ禍・ロックダウンされた上海で、日本人主婦が見たものとは
市民の多大な犠牲によってあがなわれた、コロナの終焉
--上海がロックダウンされている間、PCR検査は? 黒崎 ずっと自宅に閉じこめられているわけだし、その間発症していなければもう検査する必要はないわけですよね、ロジカルに考えれば。 でも、やってました。相変わらず二日に一度、あるいはそれ以上の頻度で。朝と夕とかにね。もちろん道端の検査ブースは閉鎖されていますから、向こうから来るんです。アパートの広場にテント建てて、でも住民が密集するのはリスクが高いということで、拡声器で「203号室の黒崎さん、降りてきなさい」って一戸ずつ呼び出される。 で、これもロックダウンから1カ月くらい経過してからだったと記憶しますが、「2週間、陽性反応者が出なかった地区はロックダウンを解除する」って方針になったんですよ。私たちはわくわくしながら「あと3日だね」なんて指折り数えてその日を待つんですが、直前になるとなぜか必ず陽性者が出る。当然、解除はできなくなる。希望が打ち砕かれる。心が折れる…。そういうことが何度かありました。他人との接触もないはずなのになぜ陽性反応者者が出るんだろうとみな疑問に思いましたが、これはもうだれにもわかりませんでした。 上海はもちろん先進的な大都会ですけれど、それでもまだ三畳一間のようなところに住んでいる家族もいるんです。狭い室内で四六時中顔を突き合わせて、それでお互いにストレスがたまって、いわゆる「コロナ離婚」みたいなことになったご夫婦もいたようです。高齢者はPCもスマートフォンも使えないからネット等で食糧の注文もできず餓死寸前、しかし家から出てはいけないので隣家に助けも求められないという状況もありました。これは具体例を知っています。 幸い、そのかたは命に別状はありませんでしたが、最悪の例としては、ロックダウン中に急性虫垂炎になって、しかし都市機能は麻痺しているから救急車はなかなか来てくれず、ついに痛みに耐えかねて飛び降り自殺をしたという事件がありました。難病の検査をしなくてはならないのにそれも叶わず手遅れになったとかね。噂レベルですが、日本人も二名亡くなっているという話も聞いています。こういうことはもちろん報道はされませんが、上海のあちこちが阿鼻叫喚の巷と化していたのは想像に難くありません。 上海のロックダウンは2022年の6月上旬に解除され、私たち家族や市民は少しずつ日常を取り戻していきました。その年の暮れにはゼロコロナ政策も事実上終焉を迎えました。中国は、とりあえずはコロナ禍を乗り切ったといってもいいのかもしれません。しかしそれは政策によってというよりは市民の、本来なら負わなくてもよかったはずの多大な犠牲によってあがなわれたのだと私は考えています。 ※黒崎さんのプライバシーが特定されかねない部分については、主として安全上の理由からフェイクを入れてあります。 (まいどなニュース特約・襟川 瑳汀)
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