【毎日書評】「孤独な私」を捨て、「『私たち生きもの』の中の私」になれば、目の前はパッと開ける
始まりは「私たち生きもの」のなかの私
東日本大震災後によく聞かれた「絆」ということばは、大きな災害から立ちなおる際、「私はひとりではないのだ」と思えることがどれほど大切であるかを示しました。また、新型コロナのパンデミックの渦中でよく聞く「利他」も、同じように大切なことばです。 マスクをするところから始まり、医療従事者、エッセンシャルワーカー、経済活動が停滞するなかで職を失う人などへの思いやりとそれに基づく行動が重要なのだと多くの人が気づき、そこから「利他」への関心が高まったわけです。 人間が持つ特徴のひとつである思いやりは、いうまでもなく大切な感性。そのため著者も、利他への関心が高まった風潮は評価しています。 ただし、気にかかることもあるようです。絆や利他ということばは、孤立した“個”が前提になっているということ。しかし、いま重要なのは「私」という存在を、まず「私たち」のなかに存在するものであると捉えることなのではないかというのです。 たしかに近代社会は、個の確立を強く求めました。そして私たちひとりひとりは、いうまでもなく唯一無二の存在です。しかしその一方、他者との関わりなしでは暮らしを成り立たせることはできません。そういう意味で、「私たちあっての私」と考えるほうが自然だということです。 独立した個人である「私」が、自分自身を常に「私たち」という広がりの中に置いて生きるなら、私にこだわるよりもはるかに開放感のある、開かれた存在としての自分になれます。これが、今考えたい「私たち」の中の私です。(28ページより) いわば、主体はあくまでも「私」でありながら、それはいつも「私たち」のなかにあるということ。しかも著者は、「『私たち生きもの』のなかの私」と考えましょうと提案しているのです。 そう捉えたときの開放感は、多様な生きもののなかに自分を置く生命誌という知を考えるなかで、つねに実感してきたのだそうです。だからこそ、それを生命誌という知のなかに閉じ込めず、社会の基本に置きたいと考えているというわけです。(27ページより) 毎日生活していくなかで、40億年の歴史を意識する機会はあまりないかもしれません。 しかし、それは「人間の本質を見つめ、本来歩むはずの道」を探すことでもあると著者はいいます。別の道を探すのではなく、「生きものである人間としての本来の道」を探すのだと。自分という存在を問いなおしてみるためにも、いまこそ本書を参考にしてみるべきかもしれません。 >>Kindle unlimited、2万冊以上が楽しめる読み放題を体験! Source: 中公新書ラクレ
印南敦史