最先端の統計手法を駆使し、データに基づいて感染症を制する 塩田佳代子さん
このときの研究では、集団を構成する人々の中でどのくらい早く抗体がなくなるかというデータの分布を予測する必要がありました。そういうことができるのがベイズ統計の特徴です。ベイズ統計自体は昔からありましたが、コンピューターの性能が圧倒的に足りていなかったために広くは用いられていませんでした。コンピューターの処理速度が上がったことで、普通のラップトップでベイズ統計を扱えるようになりました。公衆衛生も含め多くの分野でベイズ統計が用いられている現状には、IT技術の進歩が大きく寄与していると思います。
「もしも」の世界と現実を比較する
もう一つ、イェール大学での博士課程の頃の研究についてお話ししましょう。この研究では子どもの命に関わる感染症の一つである小児肺炎球菌を対象とし、ワクチンの効果を評価するために「ある国で小児肺炎球菌ワクチンを導入しなかった場合、肺炎球菌感染症に何人がかかったか」を推定するベイズ統計モデルを開発しました。この「実際には起こらなかった出来事」は「反事実」といい、「事実」と比較することで因果関係を推理するのです。
―「もしも」の世界と現実を照らし合わせてみるということでしょうか。 そうです。単純にワクチン導入前後の平均感染者数や死亡者数を比較するだけでは、たとえばたまたま感染症が流行していない時期だったのか、ワクチンの効果が出ているのかの区別はできません。また、特に低・中所得国では上下水道の整備で公衆衛生状況が日々改善されるなど、ワクチン以外の要因でも多くの感染症が減ってきています。逆に新しい病院が建設され医療へのアクセスが改善することで、結果的に観測される症例数が増えるということもあるのです。 ただ、こういった社会的な要因はさまざまな疾患におしなべて影響を与えるので、肺炎球菌感染症以外のがんや心臓病といった病気などを比較対照として、その減少(増加)傾向から反事実を推定することができます。世界保健機関(WHO)が定めている国際疾病分類(ICD-10)で管理されている医療機関の診療データを分析するのですが、比較対照の候補はけがや交通事故、がんや心臓病、皮膚病、神経系疾患など何百種類もあり、どれが主要なものかを客観的に判断することは難しい課題でした。