「引退する前に息子とNBAで同じコートに立つ」40歳レブロン・ジェームズが叶えた“夢”…1年半前、心臓発作で倒れた息子と“奇跡の共演”
「絶対に忘れない」「クレイジーな瞬間だった」
試合後にブロニーと共に記者会見場に現れたレブロンは、その瞬間について聞かれると、しみじみと言った。 「この先どれだけ年を取ったとしても、たとえ記憶が薄れていったとしても、あのときのことだけは絶対に忘れない」 ブロニーも同じ思いだった。 「父といっしょにスコアラーズテーブルに行き、いっしょに試合に出たことは、まったくクレイジーな瞬間で、一生忘れないだろう」 ブロニーのNBAデビュー戦は、2分41秒出場して0得点、1リバウンドに終わった。21年前のレブロンのNBAデビュー戦での記録は42分50秒出場し、25得点、6リバウンド、9アシスト、4スティール。もちろん、NBA史上でもトップクラスのグレートプレイヤーである父と比べることはフェアではないし、ブロニー自身、父の背中を追うことを目標としているわけではない。ブロニーの目標は、自分自身の道を進むこと。そして、レブロンもそんなブロニーを見守っている。 シングルマザーのもとで育ったレブロンにとって、家族は人生で最も大事な存在だ。19歳にしてブロニーが生まれて父になると、自分が得られなかった父の愛情を、ブロニーに、そしてその後生まれたブライスやズーリに注いで育ててきた。それでもNBA選手として遠征などで家を留守にすることが多かったため、子供たちの成長の多くの瞬間を見逃してきたという悔しさがあった。 「だからこそ、こうやって自分がまだ現役の間に息子といっしょにプレーできるということは、神からもらった大きな贈り物のひとつだと感謝している。そのことを最大限に楽しみたい」 2人にとって、そしてジェームズ家にとって、この瞬間がかけがえのない時間である理由がもうひとつあった。NBA公式戦デビューからさかのぼること15カ月前の2023年7月、南カリフォルニア大学に入ったばかりのブロニーが夏の練習中に心臓発作で倒れ、病院に運ばれるという出来事があったのだ。その後の精密検査で先天性心疾患による発作だとわかり、5カ月後には再び大学チームに合流することができた。大学のシーズンを終えた後にNBAへのアーリーエントリーを表明し、NBAの健康診断もクリア。一瞬でも死を意識した一家にとって、ブロニーが健康になって、プロ選手としての夢を追えるというだけで、幸せなことだと感じられるようになった出来事だった。
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