60~80代の「仕事の実態」…なぜ定年後に価値観がガラリと変わるのか
年収は300万円以下、本当に稼ぐべきは月10万円、50代で仕事の意義を見失う、60代管理職はごく少数、70歳男性の就業率は45%――。 【写真】意外と知らない、日本経済「10の大変化」とは… 10万部突破のベストセラー『ほんとうの定年後』では、多数の統計データや事例から知られざる「定年後の実態」を明らかにしている。
新しいキャリアに向けたスタートをいかに踏み出すか
定年前のキャリアと定年後のキャリアには大きな断絶がある。多くの人は、定年に差しかかるなかで、他者との競争に勝ち残ることを目指す働き方をやめる。その代わりとして、身近な仕事を通じて人の役に立つことに徐々に積極的な価値を見出すことになる。 自身の生活を豊かなものにしたい。家族に良い思いをさせてあげたい。現役時代にこうした考えで必死に働いていた人が、第三者の誰かの役に立ちたいと言って仕事をするようになる。人に誇れるような仕事に就きたいと考え、自身のキャリアを高めるための競争に日々明け暮れていたような人が、仕事を通じて体を動かすことが楽しいと言うようになる。このような変化が、実際に起きているのである。 定年を迎えることに前後して、多くの人は組織内でどこまで昇進していくかという一世一代のゲームを降りる。そして、その後に、仕事を心から楽しめる定年後の新しいキャリアをスタートする。 それにしても、現役時代に続けてきた働き方や仕事に対する考え方を、人はなぜこれほどまでにもがらりと変えることができるのだろうか。本稿では、そのメカニズムを解明するため、定年後の就業者の事例とその実際の声を紹介していきたい。
日本国有鉄道から市役所に転職
山村幸次さん(64歳、年収約400万円)は大学の土木工学科を卒業した後、技術職として日本国有鉄道に入社をした。国鉄では新幹線の線路敷設に携わる。当時は上野・大宮間の線路の敷設がまだ行われておらず、東北新幹線に乗る際には大宮発という時代であった。山村さんは上野・大宮間の線路、高架橋の躯体工事の現場監督として仕事を行った。 入社して数年後、国鉄が民営化されJRへと変わるタイミングで、山村さんは会社を退職することを決める。民営化で首都圏の業務に限定されてしまうと、新規の工事の枠が小さくなり、希望する部署に行けない可能性が高かったからだ。 「極論を言っちゃうと、もう民営化されると、たとえば駅そば屋とかキオスクとかああいう関連会社へ行かされるという噂もあって。まだ若かったので、逆に外に出たほうがいいだろっていう判断に回ったんです」 山村さんが次の職場に選んだのは、地元である栃木県の市役所。市役所に入った後は、下水道関係の課に配属になった。そのあと河川や道路分野の仕事を経験。途中で県への出向なども挟み、自身の専門分野を活かしながら地域のインフラの維持・整備の仕事に携わる。 「仕事をしていくなかで自分でも壁にぶつかったときもいくつかあります。たとえば、数日大雨で降雨量が増えてしまったとき、国交省の水門を閉められないかと。普通は一地方自治体の要請で国の管轄の水門の開閉をお願いするというのは難しいんですけど、粘り強く調整したら、『なんとか協力しましょう』と国も協力してくれた。工事を請け負ってる会社も感謝してくれて。大きな仕事を成し遂げたとき、やっぱり達成感もありましたね」 つづく「多くの人が意外と知らない、ここへきて日本経済に起きていた「大変化」の正体」では、失われた30年を経て日本経済はどう激変したのか、人手不足が何をもたらしているのか、深く掘り下げる。
坂本 貴志(リクルートワークス研究所研究員・アナリスト)