石破首相がやるべきなのは「地方創生」でなく「地方止血」だ
地元で生活、仕事をしながら、いつでも学び、少しずつ学び、1年2年集中してプログラムに参加してもいい。高等専門学校、大学は地元のインフラとなる。だから、大学への補助金は、ほぼすべて地方国公立大学に集中させる。世界での最先端中の最先端の基礎研究の資金は地域にこだわらず、優秀な研究者のいる大学院に投下すべきだが、高等教育への投資は地方国公立に集中させることにより、地域のインフラとすべきである。 これらの政策は、健全な精神と意欲を持った人々が暮らす社会であれば、どの地域でも実現できる。ある意味、その地域、地元が力を合わせて頑張れば、国が必要な資金を最低限投入すれば、必ず実現できる。特定の成長産業や人気企業の誘致は、ごく一部の地域しか実現できないし、それで成功するところはさらに一部となる。そのような攻めの大局観が当てはまる地域はほとんどないし、そういう大局観が成り立つところは、何もしなくとも、その地域は既に自立(かつ自律)している。
このような地味な底力、地域社会全体の人的資本を長期に地道に積み上げていくしか、追い込まれた、崩壊寸前の劣勢の多くの地域には道はない。守り続け、立て直し、力をためるべき、という大局観が、今の地方社会への包括的な政策を考える上ではいちばん必要なことなのだ(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が競馬論や週末のレース予想を展開するコーナーです。あらかじめご了承ください)。 競馬である。 競馬でも大局観は重要で、まず第1に、ギャンブルという意味では、荒れるレースか固いレースか、見分ける、ということである。12月1日のチャンピオンズカップ(中京競馬場第11レース、ダートコース1800メートル)のようなG1については、過去のデータを見るのがいい。G1の多くは固い。
第2に、その年は、例年に比べてどうか、という判断がある。それは圧倒的な人気馬がいるかどうか、ということよりも、全体のレベルの問題で、拮抗していても、どんぐりの背比べのようなレベルの低い中での拮抗ならば、大荒れの可能性はあるが、高いレベルの中での僅差であれば、やはり実力通り決まりやすい。 なぜなら、前者の場合は、捨て身というか思い切った騎乗で(大逃げ、あるいは死んだふりで直線だけに賭ける)仕掛けてくる騎手が現れやすいからで、展開が荒れる可能性がある。