「こんなに穏やかに逝けるなんて……」肺がんの男性を看取った医師が見た「在宅死」の一部始終
だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 【写真】「うつによる仮性認知症」と「本来の認知症」の見分け方 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
江戸時代のような看取り
私は四十代の半ばから、在宅医療のクリニックに勤務して、患者さんを自宅や施設で診察する訪問診療に従事しました。 在宅医療は往診とよく似ていますが、この二つのちがいは定期的か臨時かということです。 往診は症状があるときに臨時で行き、症状がなくなればそれで終わりますが、在宅医療は継続的な訪問で、症状がなくても診察に行きます。高齢だったり麻痺があったりで、医療機関に行けない患者さんが大半ですが、がんの末期で自宅で最期を迎えるために在宅医療を選ぶ患者さんもいます。 病院や外来で治療を受けている患者さんは、治りたいと思っていますから、当然のことながら治療にこだわります。しかし、がんはある時期を超えると、治療しないほうが生活の質(QOL=Quality of Life)を保てるようになります。治療の副作用で苦しんだり、体力を落としたりして、せっかくの残り時間を有意義にすごせなかったり、場合によっては寿命を縮めてしまったりすることがあるからです。 治ることをあきらめていない患者さんは、この説明をなかなか受け入れてくれません。治療をしないということは、死に直結すると考え、医者から見捨てられたように感じるからでしょう。しかし、治ることにのみ執着して、人生の貴重な残り時間を無駄にしてきた患者さんを、私は若いころからイヤというほど見てきました。 自宅で最期を迎えるために在宅医療を選んだ患者さんは、ある種、達観したところがありますから、病院で処方された抗がん剤などはやめたほうがいいと言えば、素直に応じてくれます。治療をやめることで、副作用で落ちていた食欲が回復し、食べる量が増えて、思いがけず一泊旅行に行けるまでになった人もいました。身体のだるさが消えたとか、よく眠れるようになったとかいう人もいます。今は抗がん剤の副作用も軽減していますから、ことさら治療を忌避する必要はありませんが、副作用で体力を損なうような場合は、やはり無理にしないほうがいいでしょう。 治療をしなければがんは進行し、人生の最期の日が近づいてきます。本人はもちろん、家族にとってもはじめてのことが多いので、みなさん、不安になります。私は何度も死を看取っていますから、病院での死に比べて、在宅での死がいかに穏やかかつ自然かということを知っています。ですから、相手の状況を見ながら、死に向けての状況を徐々に説明して、不安を取り除くようにしていました。