【真矢ミキさん・インタビュー/前編】草笛光子さんと私の母、実は少し似ています
佐藤愛子さんはあまりにパワフルな母親なので、娘の響子さんには他からはうかがい知れない苦労もあるはず、だけど。 「たぶん響子さんは、その場の空気とか求められているものを瞬間に察知して、バランスを取ることのできる方。自分の存在を消すこともできるし、ぱっと助けに行くこともできる。そんな存在なのだと心づもりをしながら演じました」 母と娘ならではの、愛情や面倒臭さや馴れ合いや阿吽(あうん)の呼吸が、スクリーンから伝わってくる。この母がいてこその娘であり、この娘がいてくれるから、母親は母でいられる。 真矢さんのお母さまは、どんな方だったのだろう? 「私の母は、知り合いの前ではいつも、私の頭をポンポン叩きながら『こんなのはどうしようもないのよ』『器量も悪いし頭も悪いし』って言うような人で(笑)。 愛情たっぷりなくせに、それが恥ずかしいのか、謙遜と卑下ばかり。愛情表現がちょっと屈折していましたね(笑)」
そんな母から向けられる視線は、真矢さんの人生にも大きく影響したらしく。 「私が宝塚音楽学校に入ったのは15歳の時ですけど、進学できなかった分、『新聞をとって、1日1行でもいいから読みなさい』『本を読みなさい』ってずっと言われていました。そのおかげかどうか、本を読むのは好きですね(笑)。 宝塚を卒業して俳優になって、一時期、朝の情報番組を任せていただくようになったときに、ふと母の言葉を思い出したんです。『私、大丈夫かな?』って。 番組では日々さまざまな情報が流れるから、せめて私は基礎的な知識だけでもきちんと備えておかなければ、と」 どうすればいい? と悩んでひらめいたのが、『高等学校卒業程度認定試験』。 「『そうだ、受験すればいいんだ!』って(笑)。資格が欲しかったわけじゃないんです。私が最後まで頑張りきれる、何か締め切りが欲しかった。やっぱり大人になると締め切りの大切さを感じます(笑)」 53歳にして、受験に成功。 「受験はすべて暗記と記憶だと思っていたから、ちょっと侮っていたんです。私は舞台人として記憶力があるし、映像の仕事をして暗記の力もついたから大丈夫だろうって。 でも8科目はさすがに、本当に死ぬかと思った。頭にはキャパシティの限界もあるんですね(笑)。苦労しました。 今、役者としていろいろな方の人生を演じるということは、台本に書いてある台詞だけではすませられない。その物語の時代背景とか社会情勢をつかんでおくことは大事ですから、勉強できたことは私の力になっていると思います」 そして真矢さんは2024年の今年1月、60代に突入。相変わらずの美貌とスリムなプロポーションをキープしながら、人生の新しいフェーズに乗り込んだところ。 体のこと、心のこと、どういう変化を感じ、どう立ち向かっているのかなどなど、インタビュー後編で!