本当に「風化させないで」と言えるのか――10年目の3.11を越え、女川町長が描くこれからの10年 #これから私は
やらなきゃ絶対に後悔する
その年の11月、県議を辞して女川町長に立候補した。 ーー立候補を決意したきっかけは? 須田善明さん: 一つは、震災翌日の体験です。子どもを避難所へ迎えに行った帰り道、自分だけ呼び止められました。「県議、あの車の中を確認してくれないか。あんたの叔父さんと叔母さんだと思うから」と。 2人は、車の中で抱き合って眠っているようでした。もしかすると、あと30秒早かったら、助かっていたかもしれない。そのときはただ泣き崩れるしかありませんでした。その2人が、女川町で公式に身元を確認された、初めての遺体です。 2人は火葬場に運ばれ、ブルーシートをかぶせられました。それを見て、その場にいた人たちが「家から毛布を持ってきてあげよう」と。そのとき、私は頭の中で0.3秒くらい考えて「駄目だ」って言ったんです。「毛布は生きてる人間に使うんだ」って。 それを言わないと「公人」としての自分が動き出せなかった。冷たい言葉ですよね、本当に。もちろん、後で毛布は持ってきてあげました。でもその瞬間から、腹が決まったんです。とにかく、今生きている人の命をどうやって明日に繋げるか。そこからだと。 ーーそして女川町の復興のために町長に立候補した? 須田善明さん: 卒業して女川を出ていく子たちが、たくさんいるんです。二度と帰って来ない子もいるかもしれない。彼らにとって生まれ育った町の原風景って、震災時のあの風景なんですよね。建物の基礎だけが残っているような、グレースケールの風景。 その彼らに対して「でもあんな状況でも、女川の人達は涙を流しながら、顔を上げて笑いながら、前へ進んでたよね」って。大人のそういう姿を見せて、心の原風景だけでも残さなきゃ駄目だと思いました。だったらわれわれ親世代が、町づくりの責任を背負っていくべきじゃないか、と。 そこから自分に問いかけたんです。「じゃあお前はどうなんだ」って。政治に関わっている自分、この町の住民である自分を考えたときに「やらなきゃ駄目だ」と思いました。自分の骨を埋めるお墓があって、当たり前に暮らしてきた女川。その未来に直接関わらなかったら、絶対後悔する。 「やれ」と言われたからじゃない。「やる」と決めた。その瞬間、女川町の復興と町づくりが、自分ごとに変わりました。自分自身が中核になり、直接関わっていくと決めたんです。