初の“ファミリー・ポルシェ”登場 ポルシェ復活の物語と「マカン」の戦略
次のチャンスは2002年の「カイエン」だ。当時フォルクスワーゲンには、プレミアムSUVマーケットに打って出る計画があり、車両開発をポルシェに委託した。そうやって出来上がったのがトゥアレグである。 ここでのポルシェの寝技はスゴイ。お金をもらって開発したトゥアレグを流用して自社製品のカイエンを仕立て上げた。もちろんポルシェ・ブランドに恥じぬよう、各部の補強や改善は行われているが、エンジンとシャシーの基本が流用であることは間違いない。もちろん開発費の詳細が明らかになっているわけではないから、応分負担があったのかもしれないが、傍目から見る限り、新型車をタダで手に入れたように見え、誰もが「上手いことやった」と思ったはずだ。ポルシェはタダは言い過ぎだと主張するだろうが、少なくとも新型車をゼロから開発するコストよりはだいぶ安かったはずだ。カイエンの成功でポルシェはエクセレント・カンパニーの足固めをした。 皮肉なことにトゥアレグは大きな成功を収めることができなかったが、その流用で生まれたカイエンが北米を中心に爆発的に売れた。一時期はポルシェの販売台数の半分をカイエンが占める勢いだった。背景として、出自はどうあれカイエンのクルマとしての出来の良さがある。ポルシェの歴代モデルを振りかえってみると、前のモデルと比較すると手放しでは褒められないということはあっても、絶対的に出来が悪いと断言できるようなクルマがない。製品に説得力があることがポルシェの強みだ。
買収の応酬 ウロボロスの輪
そして世界経済がリーマンショックで揺れた2008年、リーマンショックに先駆けて自動車業界を震撼させる事件が起こる。カイエンが生み出した莫大な利益で、ヴィーデキングのポルシェはなんと“巨人”フォルクスワーゲンの株式の51%を購入するのである。まさに栄華の象徴のような事件だ。 しかし、ちまたの噂では、これがフォルクスワーゲンのドンであるフェルディナント・ピエヒの逆鱗に触れたらしい。もちろんそこで何があったかホントのところは解らない。莫大な株式買い付けに伴う利払いが、ポルシェの財務を苦境に陥れたという話もあるし、コストカッターとして高名を馳せたヴィーデキングがフォルクスワーゲンの合理化を進めることに労働組合が猛反発したという話もある。しかし、ポルシェをどん底から救い、莫大な利益をもたらしたカリスマ敏腕経営者が任期途中で解雇されるという異常な事態が発生したのは確かなことだ。 そして翌2009年にはフォルクスワーゲンがポルシェを逆買収する。蛇が自分の尻尾を飲み込む、ウロボロスの輪の様な凄まじい光景とも言えるが、こういうダイナミズムが企業を強くする側面はあるだろう。株式の持ち合いで穏やかに手打ちをしているようでは強い経営体質は生まれてこないのではないか。 実際、ポルシェはヴィーデキングという逸材を失いながらも、全くグダグダにはなって行かない。ゴタゴタの真っ最中の2009年にデビューした「パナメーラ」でもスマッシュヒットを決め、売れ行きは堅実に右肩上がりをキープしている。