初の“ファミリー・ポルシェ”登場 ポルシェ復活の物語と「マカン」の戦略
生まれ変わったポルシェ
ポルシェが負けない戦いの一歩目を刻んだのは1996年の「ボクスター」登場の時だ。当時のポルシェのラインナップは「911」一色。モデル末期の968が販売されていたとは言うものの、もう市場での戦闘力は無いに等しかった。当時の911の価格は限りなく1000万円からスタートだ。その現状に鑑みる限りポルシェは限られたユーザーのためのマニアックな自動車メーカーだった。そんな有様だったから1990年代の初頭には莫大な赤字に苦しみ、もはやどこに買収されるのかが注目される状況だった。 そこへ救世主として現れたのが41歳のヴェンデリン・ヴィーデキングだ。CEOに就任したヴィーデキングは、力ずくの人員リストラを断行し、併せて定年退職したトヨタの生産技術者を招聘し、生産効率の改善を試みた。そして巨額の赤字をまるで手品の様に数年で見事に消した。 リストラと同時に彼が取り組んだのはモデルラインの増強だ。968に代わるエントリーモデルを急遽用意しなくてはならない。911一車種に全社の浮沈がかかっているリスキーな状態から至急脱出する必要があるのだ。とはいえ新型車の開発には莫大なコストがかかる。赤字まみれの会社にそんなお金はどこにもない。 そこで彼が考えたのは911の部品を流用した新型車だ。伝家の宝刀、水平対向6気筒エンジンをミッドに積んで2座のロードスターを作る。968とのメカニズム的連続性はこの際無視せざるを得ない。4座であることに対しては相当な拘りがあったはずだが、それも断腸の思いで諦めた。もちろん911の下のレンジを担うわけだから、価格の安さは必須だ。 しかし問題がないわけではない。同じエンジンを使って、かつできる限り部品を流用して、小さく軽いミッドシップのロードスターを作れば911より速いクルマになってしまう。911より安くて速いクルマを自社で出したら既存のビジネスは破壊されるだろう。自殺行為以外のなにものでもない。しかし、性能が低すぎてポルシェ・ブランドの信頼を揺るがすようなこともあってはならない。 だからボクスターは911より速くならないように慎重に性能が設定された。部品流用、価格の安さ、性能のコントロール。ボクスターはそういう幾多の制限を受けつつ、針の穴を通すような製品開発を余儀なくされたわけだ。600万円を切る価格で登場したボクスターはその難題克服に成功し、ポルシェは911一極状態から脱した。