なぜ19歳の笹生優花は全米女子OPで畑岡奈紗とのプレーオフを制し史上最年少Vを果たすことができたのか?
全米でも屈指の難ホールはロングホールが3つだけで、しかも16番(558ヤード)、17番(441ヤード)と続いている。自らの飛距離に絶対的な自信を持っているからこそ、スコアを2アンダーから落とさないように耐え忍び、反撃の機会を待ち続けた。 実際にインに入ると、一時は5打差で首位を独走していたトンプソンのリズムが狂い出す。11番(パー4・415ヤード)でダブルボギーを、14番(412ヤード)と17番ではボギーを叩き、狙い通りにロングホールで連続バーディーを奪った笹生に並ばれた。 そして、優勝争いのプレッシャーがトンプソンを蝕んでいく展開は、笹生らのひとつ前の組を回っていた畑岡にも新たなるパワーを与えていた。 1アンダーの6位タイから最終日をスタートさせた畑岡は、5バーディー、1ボギー、1ダブルボギーと2つスコアを伸ばしていたなかで、ギャラリーの反応などで「だいたい状況はわかっていた」と混戦状態を察知した。そして、笹生と同じく狙っていた16番でバーディーを奪い、ひと足先にスコアを4アンダーまで伸ばした。 迎えた最終18番(パー4・314ヤード)。ともに惜しいバーディーパットを外し、パーでホールアウトした畑岡と笹生に対して、トンプソンは約5mのパーパットをショートさせてしまう。この瞬間、史上初となる日本人同士によるプレーオフ突入が決まった。 2人の脳裏には5年前の夏の光景が浮かんでいたはずだ。2016年7月に米カリフォルニア州サンディエゴで開催された世界ジュニア選手権。15-17歳の部で笹生は首位で最終日を迎えながら、猛追してきた畑岡が4打差を逆転して連覇を達成した。 「優花ちゃんとはジュニアのときからずっと同じフィールドで戦ってきて、簡単には勝たせてくれないと思っていた。今日も攻めるプレーが素晴らしかった」 畑岡が振り返ったプレーオフは、9番(パー4・384ヤード)と18番のストロークプレーにまず臨み、決着がつかない場合は9番と18番を今度はサドンデスで争っていく。 ストロークプレーでは、ともにパーで決着がつかなかった。迎えたサドンデスの9番。ティショットをフェアウェイ左に外した笹生は、深いラフをパワーで蹴散らすように、セカンドショットをピン手前約2mにつける。フェアウェイをキープしていた畑岡が続けて放ったセカンドショットはグリーンに乗るも、10m近い距離を残してしまった。 「これまで自分のゴルフがなかなかできなかったなかで、一番取りたかったタイトルに合わせてこられたのは収穫です。一打の重みを感じていますし、もちろん悔しい気持ちの方が大きいけど、これからも試合が続くのでしっかりと調整していきたい」 息を飲む展開となったプレーオフを畑岡がこう振り返れば、笹生も「緊張でお腹がちょっと痛くなった」と苦笑しながら、サンフランシスコ郊外にあるコースまで応援に駆けつけてくれた、父親の正和さんの姿を見ながら再び涙で声を震わせた。 「優勝できるとは思っていなかった。ここにいられること、ここでプレーができることが嬉しいと思っていたので本当に信じられない。家族に、日本とフィリピンの友だちにありがとうと言いたい。彼らがいなければ、私はここにはいませんでした」 正和さんが通うゴルフ練習場によくついていった笹生は、当時の第一人者・宮里藍へ抱いた憧憬の思いも手伝って8歳でゴルフをはじめ、練習環境が整っているという理由で、9歳のときに母親のフリッツィさんの母国フィリピンへ拠点を移した。